15Field+ 2012 01 no.7せん。文書の用紙は、約70×50センチの大きな紙を適当に裁断して使うのですが、切り方によっては、その文書に透かしが含まれていないことも多いのです。最後の手段として紙の繊維を化学的に調べて時代を特定することも考えられますが、それには大掛かりな装置が必要です。そこで侮れないのが、紙に手で触れた時の感触です。紙の感触というのは文章で伝えるのは不可能ですが、何千何万と実物を手に取って経験を積むうちに、たとえ内容を見なくても、「触る」だけでだいたい何世紀のものかくらいは見当がつくようになるものです。例えば18世紀後半のある特定の年代の文書は、なぜか透かしが入っていない厚手の紙が使われているのですが、独特の触り心地があるので、すぐにわかります。200年ぶりにつなげられた紙 こうしたオスマン朝の文書は、イスタンブルにある、上記の首相府オスマン文書館と、トプカプ宮殿博物館内の文書館に多く収蔵されています。しかし同じような文書であっても、どちらが所蔵しているかによって、取り扱いに天と地ほどの差があります。 首相府オスマン文書館では、請求した文書をカウンターから自分で受け取ると、しばらく返却せずに手元で自由に閲覧できます。退館するときには自分の姓のアルファベットがついた戸棚に保管し、次に入館したときには自分で取り出して、閲覧を続けます。1回につき何点も請求できますので、同時に複数の文書を並べて比べたり、ひっくり返したり、透かしを見るため陽にかざしたり、思うがままに文書を扱えます。やぶれてしまって別々に請求番号が付いた文書の2つの断片を、200年ぶりにつなぎ合わせたこともあります。両手に紙の切れ端をもって悦に入っていると、文書館員が「何やってんですかっ」と飛んできてしまいました。他人の目には頭が変になって、文書をやぶいているように見えたのでしょう。「手から酸が出る」? ところがトプカプ宮殿博物館の文書館では、閲覧者はいっさい文書に「触る」ことができません。1枚ずつ館員が恭しく運んできて、自分の目の前の机の上に拡げてくれる文書を、触れずに眺めることしか許されないのです。私は初めて文書を閲覧した時うっかり触りそうになって、「手から酸が出るから」と、館員に厳しくとがめられたことを忘れられません。そう言うご本人は運んでくる時に素手で触っているのですから、「あんたの手からは出ないのかい」と思わず突っ込みたくなりました。 意外に見過ごされがちですが、紙というのは決して平面ではなく、3次元空間にある立体です。ですから折り目のある場合、その部分が十分開いてないと、文字が隠れて見えないことがしばしばあります。首相府オスマン文書館でしたら、自分で折り目を開いて、何が書かれているかすぐに確認できますが、ここではそうはいきません。何とか文字が見えないものか、中腰になって机の上の文書の折り目をいろいろの角度からのぞき込んでは四苦八苦したものです。 トプカプ宮殿の文書館の建物は、もと宮廷の厨房があった一画にあり、かつては食器などを保管していた場所でした。博物館内であっても関係者以外は立ち入り禁止ですし、ほかの閲覧者は滅多に来ませんから、世界中から押し寄せる観光客の喧騒をよそに、非常な静寂に包まれた空間です。石造りの天井の高い宮殿の片隅で、当時の文書を黙々と読んでいると、ときどき自分が現代にいるのを忘れてしまうような錯覚に襲われます。現実に引き戻してくれるのは、私1人の挙動を差し向いで監視しながら、終業時刻が一刻も早く来ることだけを考えている館員のため息の響きだけです。 1枚の文書を閲覧し終えると、次の文書をもってきてくれるよう館員に頼みます。机の上に新しい文書を置いてくれるのはよいのですが、実は館員は手書きのアラビア文字など読めはしませんので、しばしば上下逆さになっています。もちろん私は触れませんから、天地を逆にしてくれませんか、とおそるおそるお願いするほかはありません。 さらに困るのは、紙の透かしが見たい時です。どうしても館員に頼んで、明るい窓側に向けて文書を両手で広げてもらわねばなりません。1つの透かしを正確に写しとるには、何度も書いたり消したりして、大きなものだと1時間くらいかかってしまうこともあるのですが、ここでは館員のご機嫌をとりながら大急ぎでラフにスケッチするしかありません。「触る」なら今のうち それに比べ、文書を自分で「触る」ことのできる首相府オスマン文書館は、本当に天国のようでした。「でした」と言うのは、21世紀に入って、ここも次第に楽園ではなくなりつつあるからです。それは資料のデジタル化が、急速に進行しているためです。資料請求のオンライン化と並行・連動して、利用頻度の高い重要な資料から、どんどん館内のパソコン画面で閲覧するシステムに変わってきています。デジタル化されたものは、もはや実物を請求することはできません。たしかに1日に何点でもパソコン上で即座に閲覧できるのは便利なのですが、平面的なデジタル画像から得られる情報は限られたものでしかないことは、おわかりになっていただけるでしょう。 これから研究を始める若い人たちにも、今後はますます機会が減ってくるでしょうが、ぜひ文書の実物に「触る」ことにより、オリジナルだけがもつ迫力や、当時の人びとの息遣いを感じ取って欲しいと思います。同じ文書でも、画面上やプリントアウトで見るよりも、実物を手に取って読む方が、内容がずっとよく理解できることは請け合いです。帳簿をデジタル撮影する首相府オスマン文書館の職員。首相府オスマン文書館にて。文書を手に取る。アブデュルハミト1世(在位1774-1789)が上奏文書の余白に直筆で記した返答。関係者以外の目に留まらないように切り取られて保存された。首相府オスマン文書館では自分で折り目をのばして文書を読むことができる。文書を手に取るオスマン朝の法学者。『東地中海諸民族100版画集』(1714年、パリ刊、AA研所蔵)より。
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