11Field+ 2012 01 no.7か尋ね、教えてもらった。「前にも同じ響きの単語を習った気がする……」。しばらく考えたが思い出せず、ただメモをとった。 その夜、昼間習った単語を探して自分のノートをめくっていると、その単語は「髭を剃る」という動詞と同じだということがわかった。木から生えた無駄な葉をそぎ落とす動作——顔の皮膚に出て来た髭を剃る動作——二つの動作を頭の中で思い描いてみる。ああ、なるほど! この二つを同じような動作として見ているのか! 言葉のイメージがつかめた瞬間、その言語を話す人たちの頭の中が垣間見えた気がした。 フィールドではこのようにして、ある言葉が表わす意味を、様々な経験を通して理解できるチャンスがたくさん転がっている。そして、言葉を学ぶことで、彼らがこの世界をどのように見ているのかも見えてくる。ブレーズと毎日を共に過ごしながら言語を学んでいると、「言葉を学ぶということは、言葉を話す人々の生活や文化を学ぶということなんだ」と身をもって感じる。オロエ語を「書く」「読む」 こうしてブレーズから学んでいるオロエ語は、話者がわずか300人余りしかいないと言われている。村の人々は口々に「子どもたちはもうオロエ語を話せない状態だ」と私に訴える。またオロエ語には確立した表記法がなく、「オロエ語はまだ文字できちんと書かれたことがない」「オロエ語は音が難しくて文字にするのが難しい」という声もよく耳にする。 オロエ語の調査を始めて3度目のフィールドワーク中、ブレーズが私にこう言った。「エミコが日本にいる間に、『あ、あんな単語もあった!』ということが何度かあった。今はもう使っていないけれど、昔よくじいさんたちが使っていた言葉を思い出したんだよ。でも自分ではそれを書くこともできないし、もうどんな言葉だったか忘れてしまったなあ……」。ブレーズは、今では古い言葉を知っている数少ない一人である。その時に思い出してくれた言葉は何だったのか、もうブレーズしか知らないような言葉だったかもしれない。そう思うと残念で仕方なかった。 そんなある日、いつものようにブレーズの家を訪ねると、ブレーズは出かけていて留守だった。そうか、今日は調査ができないのか。仕方ない、明日また来よう。そう思って引き返そうとした時、ふとあることを思いついた。読めるかどうかわからないけれど、オロエ語で置き手紙をしてみよう。ちょっとした遊び心で、'ô jèè ve bwiri mi âmè marro「明日の朝また来ます」と、ノートの端を破った紙きれに書き、テーブルの上に置いて帰った。 次の日の朝、またいつものように川を渡ってブレーズの家を訪ねると、ブレーズは椅子に座って眼鏡をかけ、手の中に一枚の紙切れを持ち、ジーっとそれを眺めていた。昨日私が残した置き手紙だ。 いつからこうして眺めていたのだろうか。ブレーズはその文字を見ながら何度も何度も繰り返し音読しているようだった。そして私が近付くと、彼は一つ一つ確認するようにゆっくり、「オン イェー ヴェ ブウィリ ミ アンメ マロ」と読んでみせた。「そう! そう言いたかったの!」心の声は言葉にならず、胸がいっぱいでただ笑顔を返すしかできなかった。ブレーズはその日1日中、思い出すようにその紙きれを手にしては、嬉しそうに何度も何度も繰り返し読んでいた。 彼を見ながら私は、初めてフィールドワークしてきたことの意味がわかった気がした。今までは、彼の言葉を一方的に記録しているという感覚だった。しかしそれが彼にとってこんなにも大きな喜びだったとは。ブレーズとそんなオロエ語のやりとりを経験して初めて、「ああ、言語はこうやって人と人との間で生きているものなんだ」と実感した。ただ記録を残して終わりではない。ブレーズやこの村の人たちが、実際にオロエ語を次の世代の人たちと使いながら残していくことができるようにお手伝いするのが私の仕事なんだ。熱くこみあげてくる想いを胸に、その日は満月の光を借りて川を渡って帰った。オロエ語の未来のために…… 現在私は、ブレーズが教えてくれたことをまとめて、オロエ語の語彙集、文法書、テキスト集をフランス語で作成している。ブレーズを始め、現在オロエ語を話す高年齢層の人たちが、今後オロエ語を次の世代に引き継いでいこうとするときに、少しでも役に立てれば、それが私にとっての何よりの喜びである。 今、ブレーズの畑には、4年前、私が初めて村を訪れた時に一緒に植えたココナツの木が少しずつ少しずつ背をのばしている。そのココナツの木が実をつける頃にも、この村でオロエ語が話されていますように。ブレーズの後ろに見えるのは「ここから先は聖域である」ということを示す先人達が作った目印。村の山道を一緒に歩きながら、その土地の伝統や文化とともに言語を教えてもらう。ブレーズの畑からの帰り道。写真の奥のほうに見える山には、昔存在した古い集落の跡を眺めることができる。そして写真の手前左には、ほんの数年前に植えたばかりの私とブレーズのココナツが少しずつ育っている。ニューカレドニアオーストラリアブーライユフランス領ニューカレドニアでは28もの先住民語が話されている。オロエ語は、中心都市ヌメアから車で約3時間のところにあるブーライユで話されており、私はブーライユの中のポテ集落というところで毎年フィールドワークを行っている。ヌメア
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