FIELD PLUS No.7
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10Field+ 2011 07 no.6でも祖父母や両親と暮らしていた家に住み、代々受け継がれている畑や土地を守っている。民族の歴史や土地のことにとても詳しく、儀式などの際にも必ず中心になってスピーチをおこなう重要人物だ。 彼は言語調査の協力者としてもピカイチだった。言語の調査では、発音を何度も確認したり、同じような例文を何度も尋ねたりするので、それに長くつきあってくれる人はなかなかいない。しかしブレーズは違った。フランス語会話もフィールドワーカーとしても半人前だった私の話を、調査を始めた当初からとても忍耐強く聞いてくれ、誰よりも私の調査を理解し協力してくれた。「ああ、彼に巡り逢えて本当によかった」。そう思った瞬間は数えきれない。フィールドでの生活 ブレーズは毎朝5時には起き、天気が良ければ早朝から畑仕事に向かう。畑を野ブタが荒らそうものなら1日中そのことでブルーになってしまう。そんな畑仕事の合間をぬって、私は彼にオロエ語を教わる。鳥がさえずり、犬や猫が周りの芝生で昼寝をしている中、1時間ほど調査をし、10時頃には昼食の準備にとりかかる。「サムライ」刀と呼んでいる刀で、ブレーズが狩りでとってきた豚や鹿の肉を切り、その続きは私が調理をする。昼食を済ませた後は決まって昼寝をする。目覚ましにコーヒーを飲み、また少しオロエ語を教えてもらう。日が暮れる前に夕飯作りを始め、時には周りに住む親せきや家族も集まり、皆で食事をする。その後、私は真っ暗闇の中、懐中電灯を照らして川をまた渡り、家に帰る。こうしていつの間にか、毎日の生活リズムができあがっていった。 フィールドでは、ただじっと座って言葉について質問するわけではない。畑に一緒に行って野菜の収穫を手伝っているような時にこそ、自分が用意した質問からは発見できない面白い語彙や言語現象に出逢えたりする。 ある日、ブレーズが「夕飯のおかずを畑へとりに行こう」と言うので、私はメモ帳とカメラを片手に彼についていった。畑に行く途中、ブレーズはある木の幹から無造作に生えていた葉っぱの束をつかみ、「これがあると木が悪くなる」と言いながら刀で削ぎ落した。私はすかさず、今の動作はオロエ語で何と言うの私はブレーズの最高の笑顔を知っている。初めて自分の言語を「読んだ」彼は一体どんな気持ちだっただろう。彼が話すオロエ語は、今、消滅の危機に瀕している。オロエ語を習い始める 「彼にオロエ語を習うと良い」。 2007年、私がオロエ語の調査を始めようとフランス領ニューカレドニアのポテ集落を訪れた時、周りの人にそう言われ、紹介されたのがブレーズだった。ブレーズは、私がホームステイしている家から川を隔てた向こう岸に独りで住んでいた。彼にオロエ語を習うため、私は毎日川を渡り、ブレーズの家へと通うようになった。 ブレーズからオロエ語を習い始めてすぐに、皆が口々に彼を薦めた理由がわかった。7人兄弟の末っ子である彼は、「自分にはこの家の伝統を受け継いでいく役目がある」と言い、今ことばを残す――フランス領ニューカレドニアの先住民語をフィールドワークする辻 笑子つじ えみこ / 東京大学大学院人文社会系研究科附属次世代人文学開発センター萌芽部門次世代人文学育成プログラム客員研究員ブレーズ(右)と姪のジャンヌ(左)。普段はジャンヌの家に滞在し、この川を渡って毎日ブレーズの家へオロエ語を学びに行く。 大雨が降ると水かさが腰の高さにまで達するのだが、一度溺れかけてブレーズに助けてもらったこともある、想い出の川である。葬儀の際に、親戚からもらった贈り物を家族ごとに分けているところ。ブレーズが中心になって、若い者達に指導しながら儀式を進めている。畑仕事をしているブレーズ。タロイモ、ヤムイモ、バナナ、パパイヤ、マンゴー、パイナップル、瓜、トマト、いんげん、レタスなど、数多くの食物を育てている。

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