FIELD PLUS No.7
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9Field+ 2012 01 no.7くなっていて、何十年か後には誰も話す人がいなくなってしまう可能性が高い。村の若者や子供たちのなかには、バツビ語を話せないばかりか、聞いてもほとんど理解しない者も珍しくない。学校の教育やテレビなどもすべてグルジア語だし、老人も含めて全員グルジア語が自由に話せるので、バツビ語を知らなくてもなんら困ることがないのだ。村人たち自身も、バツビ語が失われつつあることにあまり関心がないように見える。しかし、そのレヴァン氏は、そんなバツビ語の現状を憂えている数少ない一人で、私に声をかけてくれたのも、自分たちの言語が消えてなくなってしまう前に何かできないかとの思いからだった。バツビ語を調べる さて、さっそく調査にとりかかる。バツビ語を教わるレヴァン氏は40代。単語や簡単な文を尋ねているうちはすらすらと答えてくれていたのだが、細かいことを調べようとすると、答に迷う場面がだんだん増えてくる。普段からバツビ語のことを気にしている彼ですらそうなのだから、後は推して知るべしである。そこで、一通り基本的なことを聞き出した後は、彼の両親が住むゼモ・アルヴァニ村へ向かった。 最初、お父さんにマイクを向けてバツビ語で語ってもらうと、ひどくたどたどしい。「もうお父さんの世代でも流暢に話せないのか」とがっかりしたのも束の間、横で聞いていたお母さんが一言。「あんた、普通にしゃべればいいじゃない!」 どうやら、マイクを向けられて緊張してしまったようだ。その後、何度も村に通っているうちに、次第にマイクにも慣れて、今では自由闊達に話してくれるようになった。気分が乗ってくると、あの話を聞かせよう、こんな歌もある、と終わらなくなる。 バツビ語を話す人々は伝統的に羊の放牧を生業としてきたので、羊に関する語彙がやたら多い。「生まれたばかりの羊」「1歳くらいの羊」「毛を刈った羊」「乳用羊」、はては「羊毛を刈るはさみ」や「羊の乳搾りに使う桶」に至るまでちゃんとそれ専用の名詞がある。お父さんも、羊について話すときにはとくに熱がこもる。それに、羊毛を紡いだ糸で織物をつくるのも盛んだ。一度、織物の名人だという近所のおばさんにその作業を見せてもらったのだが、説明を聞くと、大きな織機の部品の1つ1つにバツビ語の名前があり、織りかたにもいろいろな名前があり……それを書き取っていくだけでノートは何ページもいっぱいになる。 また、バツビ語の特徴の1つに、個々の名詞に応じて、一緒に用いられる動詞や形容詞の形が変わることがある。たとえば、「……がいる/ある」という意味を表す動詞は、「牛がいる」だと ba、「羊がいる」だと da、「亀がいる」だと jaになる。どの形になるのかは、名詞の形や意味からは判断できず、1つ1つの名詞についてあらかじめ覚えておかねばならない。「牛」や「羊」はまだしも、「羊の乳搾りに使う桶」や、織機の部品1つ1つについてもそれがきちんと決まっているのだから呆れてしまう。どうやって覚えているのかと頭のなかを覗いてみたくなる。話し手の頭のなか バツビ語は、1つの村でしか話されていないとはいえ、グルジア語や日本語や英語と同じ1つの言語である。バツビ語にも数えきれないくらいの単語があり、精緻な文法があり、語り継がれてきた昔話やことわざや歌がある。しかし、それはどこにも書かれていない。村人たちの頭のなかにあるものがすべてである。 その話し手の頭のなかにあるものをいかに取り出して、その仕組みをどれだけうまく整理できるか、そこが腕の見せどころだ。とても難しいけれど、ことのほかやりがいのある仕事である。バツビ語の場合、流暢な話し手であるお年寄りたちがいつまでも元気でいるわけではないので、あまり多くの時間は残されていない。形のないその知識が失われてしまう前に、できる限りの記録を残さねばならない。そんな使命感のようなものを勝手に感じながら、私はまたゼモ・アルヴァニ村へ向かう。通りを歩いていたロバ。羊は、羊飼いたちが村から遠くに連れていっていて、村にはいない。平地に下りる直前まで暮らしていたところ。集落の跡がわずかに残る。夏になると、もと暮らしていた山の上に村人たちが集まって酒盛りを開く。村の通り。村は山のふもとにある。バツビ語を話す人々は、今は平地に村をつくって住んでいるが、100年ほど前までは奥に見える山の中で暮らしていた。

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