8Field+ 2012 01 no.7ことばを学び、記録する――グルジアの片隅の小さな村で児島康宏こじま やすひろ / AA研特任研究員思いがけない出会いに導かれるままグルジア東部、カフカス山脈のふもとのバツビ語を話す人々が暮らす村へ。失われようとしている村人たちのことばの豊かな世界に触れる。 日差しの照りつける村の砂利道をロバがのんびりと通り過ぎていく。ときおり鶏の鳴き声や犬が吠えるのが聞こえてくるが、人の姿はまばらだ。ここはグルジア東部に位置するゼモ・アルヴァニ村。一見、なんの変哲もないのどかなグルジアの村だけれど、周りの村々と1つだけ違うところは、村人たちの話していることばが、グルジア語とはまったく違うバツビ語という言語であることだ。バツビ語を話す人たちは世界じゅうでこの村にしかいない。 グルジアの公用語はグルジア語である。しかし、国内にはグルジア語を母語とするグルジア人のほかにもたくさんの民族が暮らしていて、グルジア語に加えて、それぞれ独自の言語を話している。それらのなかには、数十万人が話す大きな言語もあれば、バツビ語のように2000人ほどの人々が細々と話しているような言語もある。生身の人間から言語を学びたい 私はこれまで10年以上グルジア語の研究を続けてきたが、グルジア語を勉強するかたわら、グルジアで話されているほかの言語のフィールドワークをやってみたいとずっと考えていた。グルジア語については、意外に思われるかも知れないが、すでにたくさんの人々の研究の積み重ねがあり、分厚い辞書も詳しい文法書も揃っている。私が最初にグルジア語の勉強を始めたときも、まず広げたのは英語で書かれた入門書で、語彙調査票とまっさらなノートではなかった。グルジア人に会って、実際に話されているグルジア語を耳にしたのは、本で文法を一通り勉強した後だった。 そのため、人間の言語を研究する言語学徒のはしくれとして、私はいつも物足りない思いを抱えていた。活字からではなく、生身の人間から直接教わりながら、一から言語を学んでみたい! そもそも、言語は本のなかにあるのではなく、現場で話されているのである。なかなかそのきっかけをつかめずにいたのだが、チャンスはある日突然向こうからやってきた。バツビ語との出会い 数年前、私がグルジアのテレビ番組に出演してインタヴューを受けたときのことだ(グルジア語を話す外国人はとても珍しがられるので、そういう機会がちょくちょくある)。「グルジア語のほかにも、カフカスのいろいろな言語に関心がある」という話をしたところ、数日後、私は街中で見知らぬ男性に呼び止められた。「テレビで見たよ。俺はゼモ・アルヴァニ村の出身だ。バツビ語に興味はあるか?」と尋ねられた私は、レヴァンと名乗るその男性に迷うことなく二つ返事でついていき、思いがけずバツビ語を学ぶことになった。まったく、どこでどんな出会いが待っているのか分かったものではない。 バツビ語は、若い人たちがだんだん話さなこの地方で食べられるチーズフォンデュ。小麦粉を水で練って丸めたものを溶かしたチーズにつけて食べる。羊毛を紡いだ糸で織ったじゅうたんがこの地方の特産。羊毛を押し固めたフェルト地のマントや敷物をつくったりもする。お世話になっている家族と一緒に家の庭で。前列左がレヴァン氏。両親はどちらも流暢にバツビ語を話す。普段は首都トビリシで暮らしている孫娘のハトゥナは、バツビ語はまったく分からない。トルコアルメニアアゼルバイジャンロシア連邦グルジアゼモ・アルヴァニトビリシ黒 海
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