態はツィマ(tsima)呼ばれ、特に、男性労働力が不足する状況での開墾や大人数の人手が必要な収穫の際には広く近隣の人々に呼びかける。ツィマの作業の後には食事のほか、トウモロコシなどを原料に数日前に仕込んだ発酵酒が振る舞われることもそれとなく言い添えておくと、心なしか人の集まりがよい。場合によっては作業を始める前に景気づけに一杯、ということもあるそうだ。 開墾から種蒔きまでが終われば、あとは収穫までの単調な畑仕事に根気強く臨む。そんな彼女たちの毎日は一見すると地味だが、主食となる作物の生産者であることは強みだ。保存の利く穀物は収量のうち3分の1は販売用、3分の1は自家消費用、そして残りは次期の作付のための種子として保管する。現金や被服などの消費財が必要な場合には、換金作物の収穫のうちの余剰を仲買人であり街の万屋でもあるインド人商人の店に持ち込む。今日でも農作物の大部分が自家消費、市場で取引されるのは2割程度と言われる。農作物の販売については、男性世帯主が移民労働から一時的に戻っているうちに一言断りを入れておくのが円満の秘訣らしい。 「(男性世帯主は)『だめ』とは言わないわ。それは承知の上で訊くのよ。」 収穫物の一部を販売する決定権が誰にあるのかという問いに対する答えに、相手を立てる賢明な交際術が垣間見える。販売するといっても、彼女たちは自宅に構えて他地域からやってくる行商人を迎える立場だ。紛争によって移動が妨げられる以前は、収穫期の内陸農村に行商人が訪れるのが常だった。例えば、行商にやってきた陶工から陶器を購入する場合には、大小様々な陶器一杯分のトウモロコシや落花生など、販売者が希望する穀物と交換したという。陶工自慢の作品。水瓶から調理鍋までお好みのものをどうぞ。統計には表れない経済活動 女性の経済活動は多岐にわたる。行商に来る陶工もこの地域では女性の仕事だ。陶工の技術と行商のルートは母娘あるいは義理の母娘の間で伝えられ、行商では各地の市場や得意先の集落を回る。徒歩で行商をしていた時代には数日がかり、今日は乗合のミニバスを使うがそれでも最短1泊2日の小旅行となる。行商先から戻るとき、売れ行き次第で市場で日用品を買うこともあれば、街道沿いで売られる土地の物産を買い求めることもある。街道沿いでは内陸の農産物だけでなく、沿岸部から魚や海老の干物の行商に来る女性たちに出会う。市場や街道沿いの露天で売りさばくのは漁師の家の女性たちだ。 朝4時過ぎ、まだ空に星が瞬くうちに浜の女たちは動き出す。夜のうちに漁に出た男たちの船がじきに浜に帰ってくるのだ。調査地で見かける数少ない男性陣だ。浜は日に二度、早朝と夕方に戻るダウ船と水揚げを分ける女性たちで活気に満ちる。この時分、陸おかに上がった男たちは夜通しの漁で冷え切った体を焚き火で暖め、中には女性たちが造った強い蒸留酒をあおって体の芯から暖まる者もいる。そして東の空が明け切る頃、男性陣は三々五々、家路につく。 彼女たちが早朝の浜辺で獲れたばかりの鯵や蟹などを分配する姿を捉えようと筆者はカメラを構える。いつもなら積極的に被写体となる彼女たちだが、このときばかりはカメラを手にした筆者に誰一人目をくれることはなく、ましてや写真撮影には悩ましい逆光などお構いない。朝日が照らすのはこれから売りに出す魚であり、その目利きをする真剣な彼女たちの背中だ。紛れもなくこの社会の経済の担い手である彼女たちの取引は公式統計の数値には計上されない。「変わらぬ社会」と変えぬ意志 農村の女性たちは地場産業のメリットを活かし、相互補完的な経済を機能させてきた。こうした女性たちのネットワークと対を成すように昔も今も男性の多くが賃金労働の機会を求めて国内外に出稼ぎ・移民労働に赴く。ただし、農村に残る女性は男性のもたらす現金収入に全面的に依存することはない。 漁師町の一日を通じて体感できる経済活動の克明なリズムは潮の満ち引きにも似て、海辺の女性たちの大胆闊達な人柄と無関係なようには思えない。一方、内陸部で農業を営む人々の毎日の地道な仕事はやがて収穫期の実りに繋がる。農業の中心的な担い手である女性たちは穏やかだが堅実なところが魅力だ。 経済活動のハレとケは漁業に携わる女性たちにとっては一日の中に集約され、陶工の女性たちにとってはそれが窯出しと行商の期間に、そして内陸部では収穫の喜びを人々と共有する節目となる。巡る季節とともに歩む日々の営みは、生活の糧となると同時に彼女たちの刻むリズムの拠り所になる。地に足の付いた経済活動を展開する彼女たちに共通するのは、マクロ経済成長の数値には表れない経済的・社会的な自律性によって裏付けられている自信に満ちた素顔と包容力だ。 経済のために人間が存在するのではなく、人間のために経済が存在するのだということを改めて感じさせられる。矛盾した「経済発展」を余所に、この土地で出会う女性たちの生き方には、その根源的な社会のあり方を変えてはならないという頑な意志さえ感じられる。浜辺で水揚げを分配する女性たち。9Field+ 2011 07 no.6
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