コートジボワールタンザニアザンビアマダガスカル一致しない。が、むしろかなり別個のものとして確かに存在する。人類の故郷アフリカで出会った、たくましい女性たち 日本にとって「アフリカは遠い」とよく言われるが、私たち人類の故郷はアフリカである。人間の細胞にあるミトコンドリアは母由来でしか受け継がれず、母、その母、そのまた母をずっと追っていくとたったひとりの女性、15万年前にアフリカで生きたイヴにたどりつく。そしてイヴの7人の娘たちがアフリカを離れ、他の大陸へと旅を続け、私たちが生まれてきたということになっている(ブライアン・サイクス『イヴの七人の娘たち』参照)。そのアフリカの、素顔の女性たちはどんななのかと言えば、やはりあれほどリスクと困難に満ちた生活の中で彼女たちが示す「明るさ」「たくましさ」が際立っている。「何をいったい怖がっているの?」「くよくよしていても仕方がないよ!」とアフリカの女性たちに言われているような気が私はする。 ザンビアの首都ルサカで或る日、ミニスカートをはいた女性がバスに乗ってきた所を、バスの運転手が「そんなに人に裸を見せたいか」と言いながら乗客のいる前で服を脱がせる、という事件が起きた。さあ、ザンビアの女たちはどうしただろうか。まもなくこれに抗議をする女性たちがYWCA(キリスト教女子青年会)に集結し気勢を挙げたということである。これが日本だったら、同じような断固とした態度を行動で示す女性たちがどれ位いるだろうか、はなはだ心もとない。さらに驚いたのは、この集会に当時の運輸大臣(かつて保健大臣)のルオ女史がわざと黒いミニスカートで現われ、「男性たちこそ欲望を野放しにせず抑制することを知るべきである!」と演説したという話である。このルオ女史は、そばにいると吹き飛ばされそうになるようなエネルギーを発していて、「アフリカが貧しいなんて誰が言ったの!(Who said Africa is poor !)」といったようなせりふでアフリカ人の心を揺さぶる演説をする女性である。 私の見聞では、男性と同等の教育を受け、男性に伍して社会で活躍する女性のエリートは、しばしば「男性の頭脳」を持つようになる。日本のある著名な女性弁護士が私に言ったことがある。「私は弁護士になる時に男の弁護士の頭を持つように育てられたと思う、それを自ら否定していく過程が必要だった。」と。私も「男の医者の頭」を作られ、あらためて女の視点を持ち直す必要があったのだ、とその時同感したものである。であるからこそルオ女史のようなエリート中のエリートのアフリカ女性が示した、確かな女性の視点と行動に瞠目した。 このような明るいたくましさはエリート女性だけの話ではない。診療所で、村で、市場で、出会って話したアフリカの女性たちは一様に強く、明るい、わが姉貴たちである(写真1〜5)。また彼女たちが身につける色の豊かさ、奔放さにも注目して欲しい。彼女たちの心の躍動が伝わってくるかのようだ。しかしこの明るい写真の何枚かはHIV感染女性のものである。 一方、彼女たちがふっと見せる、「思慮深さ」写真6 元保健大臣のルオ女史が、ザンビアのエイズ対策を議論中に見せた顔(ザンビア)。写真7 あるエイズ患者のお母さんの、何か達観した表情。このあと巡回自宅訪問した筆者にパイナップルをくれた(コートジボワール)。がにじむ哲学的な顔にも気がつく時がある。ルオ女史が議論中に見せた顔(写真6)、コートジボワールでエイズ患者さんへの巡回自宅訪問を現地のNGOと共にしたときに出会った、あるエイズ患者のお母さんの何か達観した表情(写真7)、マダガスカルの市場で子どもを抱く母(写真8)、また私が撮った写真ではないが、国際エイズ学会で入手して以降、ずっとオフィスに張っているポスターのギデオン・メンデル氏撮影の写真に見る、エイズの息子を抱くお母さん(タンザニア)の顔と佇まい(http://actionaidusa.org/what/hiv_aids/gallery/を参照されたい)。このような女性たちに出会った時、はっとするような、恐れ入りました、と言いたくなるようなものを感じるのは私だけではないだろう。なんとも奥深い、アフリカの女性たち!写真4 「これで出産予定日わかります。」(ザンビア母子診療所で)。写真5 赤ちゃんたち、勢ぞろい。「子どもだけでもいいから日本に連れていって。」と言われた(コートジボワール)。写真8 何を想うか、マダガスカルの市場で子どもを抱く母。5
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