震災被災地で医療支援をしながら、ずっとアフリカを思い出していた。「生」の感情や「心のうごき」がひしひしと伝わってきたのだ。それは、アフリカでなされた「人間っぽい」人たちとの濃い情感の交流につながる。彼の地の女性たちは、一様に強く、明るい。そして、なんと奥深いことか。東北の被災地でアフリカを思った この原稿を書こうとしていた矢先、2011年3月11日に東日本大震災と巨大津波が発生した。2万人近い犠牲者の数、言語に絶する被害の甚大さ、そして引き続き起きた福島第一原発事故、この日は日本の3.11として長く人々写真1 「魚のぶつ切りと布、どっちも売っています。」(コートジボワール)。写真2 木陰でひと休み(コートジボワール)。写真3 野外美容院にて(コートジボワール)。の記憶に留められるに違いない。私は地震の数日後に被災地仙台に入り、戦場のような石巻赤十字病院と避難所での医療支援をさせていただいた。身近な人々の大量の死を目撃し、生き残り、今日生き抜くことに全生命力をかけなければならない、衣食住を確保すること自体の困難、これでもかと言うように襲ってくるひどい寒さや病気……。このようなものに接して、私は何故かずっとアフリカを思い出していた。何か共通点があるからなのだろう。 私は小児科医となってから免疫学やエイズの研究をする為1982年から92年までの間の8年間をパリに子連れ留学をしていた。パリにはアフリカからの移民も多く、アフリカの飢餓や内戦のニュースなどは日本にいる時よりも頻繁にリアルに伝わっていたのでアフリカを身近に感じていた。そうは言っても私は研究に忙しくアフリカがかかえる問題も横目にとらえる程度だったが、帰国後、開発途上国への国際保健医療協力の世界に跳びこみ、再びアフリカと出会うことになった。実際に行って見たアフリカの風景や人々は、ヨーロッパ人のフィルターを通して私が見ていたアフリカとはかなり異なったものだった。アフリカはまだ眠っている、アフリカには歴史がない、明日のことを考えない人たちなどというアフリカ評の多くは、支配しようとするものが支配されるものに対して持つ(持とうとする)いわれなき蔑視に基づいているのではないだろうか。日本人もかつてはイギリス人に「怠けもの、正直でない」と言われていたということだから。 日本では人の死に日常的には出会わなくなったと言われているが、アフリカでは今でも貧困やエイズを中心とした疾病が蔓延し、人間が簡単に、本当に簡単に死んでいる。そのような生命へのリスクと背中合わせに生きているからこそ、人々が必死に精一杯いのちを生きる姿が際だっている。困難の中でもにっこり笑えて、他人の苦しみも思い測ることができる能力が人々の中に強く育っている。男らしさ、女らしさ 最近の平常時の日本では、何かロボットのような人間が増えたと言う人が多いが、東北の被災地では、人間の「生」の感情やゴーゴーと音を立てているかのような「心のうごき」がひしひしと伝わってきた。テレビの映像でも何度か目にした、悔しく、打ちのめされまいと思ってはいるがあまりの重圧に「男泣き」してしまう壮年の男性たち、遠くの一点を見つめ哲学的な顔になる年配の女性たち。このような「人間っぽい」人たちとの濃い情感の交流は、よくアフリカで私はしていたではないか、と思い出したのだ。 男泣きする男性を見て、私は不思議にも「男らしさ」を感じたのだが、アフリカでも、これが本当の「男らしさ」「女らしさ」というものではないか、と何度か感じた場面がある。いわゆる「らしさ」批判は、私たちの頭に植えつけられたジェンダー概念から生まれる、記号としての「らしさ」を内省批判するために言われるが、生物学的な「その性らしさ」、性の違いの面白さは、言語的社会的に押しつけられた、ジェンダー的な「らしさ」とはしばしば4Field+ 2011 07 no.6東日本大震災とアフリカで出会った、奥深い男たち、女たち…… 若杉なおみわかすぎ なおみ / 筑波大学大学院
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