うになってからは、グラフィックデザイナーやミュージシャンの友人たちとの交流が増えました。 もうひとつはスタンスの変化です。文化人類学のフィールドワークでは、自分の主観や考えをなるべく排し、客観的な記述と記録に徹するのが原則で、かつてクリフォード・ギアツはそれを「現地のひとびとの肩越しに出来事を観察する」ということばで表現しました。フィールドワークをはじめたころは、それがものごとに対する僕の基本的なスタンスだったのですが、シャーマンとのつきあいや、グラフィックデザイナーやミュージシャンの友人たちとのつきあいの中で、それまでおさえてきた、自分の意見や考えを積極的に「表現」することに対する抑圧が少なくなり、現代美術家になってからは一気にそれが解放された気がします。 この変化は主に大学の講義で活かされています。学部生を対象とした文化人類学の講義では、グラフィックだけではなく映像や音楽を積極的に使い、世界の社会問題を学生自身が自然に考えるような、表現に重点を置いた講義をやっています。講義のブログがありますので、そちらをご覧ください(http://illcommonz.exblog.jp/)。研究と表現ということでいえば、AA研での企画展や広報活動でもそれが活かされています。 社会運動との関わりにおいて、スタンスは重要です。つまり、社会運動を研究対象としてその外側から客観的に観察するのか、それとも、運動の内側から主体的にその運動に参加するのか、というコミットメントの仕方が問われるからです。僕が選び取ったスタンスは、「ひとびとの肩越しに出来事を観察する」というスタンスではなく、「ひとびとの側から発言し意見を表明する」というスタンスです。それはもはやアカデミックな研究者のスタンスとはいえないかもしれませんが、僕はそうしたいと思い、それを選びました。アカデミックな人類学者ではなく、「アクティヴィスト人類学者」になろうと思ったのです。――小田さんは、今の人類学についてどのように思われていますか。【小田】日本にはまだ少ないのですが、海外にはアクティヴィスト人類学者を名乗る人が大勢います。アクティヴィスト人類学者というのは、社会運動や政治運動を実践する人類学者のことで、もともと文化人類学にはそのような伝統があります。今日「人類学の父」とよばれている人たちは、その時代の政治運動や人権運動に積極的にコミットしています。 いまやっている大学の講義では、人類学の一般的な教科書には載っていない、こうした人類学におけるアクティヴィズムの系譜をとりあげ、「もうひとつの人類学」として教えています。 ちなみに人類学者が身につけている、文化の違いや偏見についての意識や文化相対主義の視点、フィールドワークの技能は、さまざまなアクティヴィズムの現場で非常に役に立ち、社会運動にとってポジティヴな役割を果たすことができますから、日本でももっとアクティヴィスト人類学者が増えることを願っています。25Field+ 2011 07 no.6憑依霊に「結婚とはなにか」を教えるため、徹夜のセッションの後、婚礼の寸劇が行われる。岩場の奥から魂のかけらが見つかった。とりもどされた魂は、赤ん坊のように布でくるまれ、背中に背負われ、家まで連れもどされる。魂がもどった後、その熱をさましてやるために、水を浴びせ、布であおいでやるシャーマンとその弟子たち。ヒョウタンに集めた魂を頭の上から吹き込み、ふたをする。魂の捜索――アフリカでのフィールドワークは、今の小田さんの活動の中にどのように位置付けられていますか?【小田】シャーマンの弟子になって研究したシャーマニズム・カルトについては論文や本は書きませんでしたが、そのかわり、それをアクティヴィズム活動の中で実践しています。 数えたことはないのですが、これまで参加したデモの回数は軽く100回を超えていると思います。最初のデモはイラク反戦のサウンドデモで、その企画と運営に関わったのですが、自分にとって最初のデモ体験は、ケニアのフィールドワークで参加した、魂をとりもどす捜索だったと思っています。――「魂をとりもどす」とはどういうことですか?【小田】それは「クズザ・チヴリ」とよばれるもので、「魂の捜索」という意味です。文化人類学者なら「儀式」や「儀礼」とよぶでしょうが、僕
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