フィールドプラス no.6
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ショーマンである」ということばがありますが、まさにそのタイプでした。 ディゴのシャーマニズム・カルトは、病気治しのカルトで、シャーマンとその弟子が演奏する音楽とダンスで霊たちをよびよせ、夜を徹して霊たちと即興のセッションをするのですが、そこでの演奏や霊とのやりとりにはエンターテイメントの要素が強くあって、ショーやパフォーマンスとしておもしろいのです。特にそのシャーマンは、霊の絵を描かせるとうまいし、セッションの演出や演技もうまい。独自の舞台装置を設計し、作曲もする。人を泣かせるセリフや笑わせる話もうまい。つまり、よいショーマンであるだけでなく、デザイナーであり、ミュージシャンであり、コメディアンであり、そしてそれらをすべて兼ね備えたマルチ・アーティストだと思いました。 今にして思うと、僕がそのシャーマンから学んだのは、呪医が持つ知識や深遠な世界観よりも、何かを表現し、伝え、広める媒介者としての生き方だったような気がします。それともうひとつは、人前で何かを演じること、つまりパフォーマンスのおもしろさですね。――病気治しのセッションとはどのようなものなのでしょうか?【小田】それは「カヤンバ」とよばれていて、雨季と乾季のあいだの農閑期に行われます。農作業が一段落し、生活に余裕ができる時期です。別のいい方をすれば、野良仕事に追われて、それまで後まわしにしてきた生活をかえりみる時期です。その時期に、夜の10時ごろから朝の5時ごろまで、家の庭や軒先などの野外で一晩かけてひらかれます。子どもから年寄りまで誰でも自由に参加できるオープンなセッションです。 シャーマンとその弟子たちがドラムや楽器を演奏して霊たちをよびよせます。演奏にあわせて踊っているうちに、シャーマンや患者だけでなく、集まった人たちも次々と霊に憑かれてゆきます。霊に憑かれると、集団の即興劇がはじまります。 そのセッションは、病人の病状だけでなく、その家族が抱えているさまざまな問題を霊たちに「知らせる」あるいは「教える」というかたちで進行します。というのも一般に霊たちは、「世間知らず」で「ものわかりのわるい子ども」というキャラクターで知られているので、子どもに分かるように、実演や芝居をまじえながら、子どもに教え諭すように知らせてやらなければならないのです。 そこではふだんはあまり人前で話せないことが、遠まわしなやり方で話されます。つまり、霊たち同士が「浮気って何?」「学校って何?」「お前はばかか、そんなことも知らないか」といった感じで話をするのです。これによって、個人や家族の「ドメスティック」な問題が、そのコミュニティの「パブリック」な問題としてシェアされ、家族や社会の本来的なあり方が改めて問い直されるわけです。 これは文化人類学が「社会劇」とよんできたものです。霊たちによって演じられるその劇は、いま現実にそこにあるさまざまな問題を背景にしたものなので、ある意味「シリアス」なものですが、同時に「コミカル」な調子を持っています。フィールドで暮らしていると、日常のさまざまなやりとりからそういうセンスがだんだん身についてきます。あるとき、僕の親方のシャーマンがセッションの中で、霊にむかって「見ろ、ここに白人の医者がきている。この白人の医者は恐ろしい注射器を持っているぞ」といったのです。そのとき、これは僕に「何かやってみせろ」という合図だと思ったので、そのへんにあった大きな木をつかんで「見よ、これがそうだ!」とやったら大ウケでした。こういうコールに対してちゃんとレスポンスが返せたとき、はじめてその文化の中で生きているという実感がしました。人前で何かをすることのたのしみを覚えたのは、このときですね。Field+ 2011 07 no.6憑依霊にうばわれた魂をとりもどすため、魂の捜索に出発したディゴのシャーマンとその弟子たち(1994年、ケニア)。24アクティヴィスト人類学――フィールドから帰って来て、どんな変化があったのでしょう?【小田】交友関係が大きく変わりました。大学院のころは、研究室の院生とのつきあいが中心でしたが、クラブでDJをやったりイベントをやるよ

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