フィールドプラス no.6
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 採取したアイスコアは、氷河の上で初期的な解析をしたあと、冷凍のまま日本に持ち帰って様々な解析をする。私は、アイスコアを融かしてその成分を分析している。アイスコアには様々な不純物が含まれていて、その濃度の変化から人間が放出した大気汚染、森林火災、火山、黄砂が環境に与えた影響が時代とともにどのように変化してきたかを推定することができる。また、氷を構成する水分子から気温を推定することができる。水分子は1つの酸素原子と2つの水素原子が結びついたものである。自然界には通常の酸素・水素原子に比べて重い原子がわずかに存在し、その重い原子から構成される重い水分子が存在している。気温が低くなると雪に含まれる重い水分子の割合が低くなることが知られている。この性質を利用すると、雪が降ったときの気温を推定することができる。氷河での生活 山岳氷河の掘削は、6〜8人が1ヶ月くらい氷河上で生活しながら行う。氷河で使う物資は、掘削機、観測機器の他に1ヶ月生活するための食料、燃料、テントなどで、総重量は1トンになる。それらの物資と人は飛行機やヘリコプターを使い、ふもとから数便に分けて少しずつ氷河へ運ぶ。山の天気は変わりやすいので輸送は時間との勝負である。氷河に着陸した飛行機はプロペラを回したまま待機しているので、ものすごい音と風の中で荷物を急いで下ろさねばならない。掘削機の部品や燃料の入ったドラム缶は一つ一つが100kg以上あり、高い標高の空気の薄い中で急いで運んでいると軽い酸欠状態になって頭痛がする。最後の荷物が到着し飛行機が帰って行くとあたりは静寂に包まれ、いよいよ氷河での生活が始まる。 いつ天気が悪くなるかもしれないので、先ず各自が寝るためのテントと、食事をするための大型のテントを張る。突風でテントが飛ばされることがないように、雪を50cm近く掘り下げその穴の中にテントを張り、綱でしっかり固定する。次に掘削するためのテントを張る。縦4m、横6m、深さ1mの穴を掘り、その上に高さ2mのテントを設営しその中に掘削機を組み立てる。アイスコアの解析を行う実験室も作る。実験室といっても建物を建てることはできないので、雪の中に縦1.5m、横6m、深さ2mの穴を掘り、その上にベニヤ板で屋根がけをして実験室にする。深さ2mの雪はスコップで掘るには硬いので、チェーンソーを使って雪をブロック状に切り出して掘っていく。もう一つ生活のアメリカ・アラスカ州オーロラピークで掘削終了の記念写真。後列左端が筆者。アラスカの観測のときに物資輸送をする飛行機。パイロットはアラスカで一番の腕利きだ。(左)掘削中の様子。ワイヤーを握り掘削機から伝わる振動を感じながら、慎重にワイヤーを繰り出していく。(右)掘削機に入ったアイスコアを氷河から切り離すため、体重をかけてワイヤーを引っ張る。ために大事な建築物がいる。それはトイレだ。雪のブロックを丸く積み上げて壁を作って部屋を作り、底に排便用の穴をあけてトイレにする。人間の生理現象はどんなに天気が悪くても我慢できないので、風が入らないしっかりとしたトイレができると生活はずいぶん快適に感じられる。生活環境が整い、いよいよ掘削が開始されるのだが、氷河の上は、アイスコアを掘る前からずいぶんと穴だらけになっている。 天気がいいときの生活はとても快適なのだが、しばしば猛烈な荒天に見舞われることがある。猛吹雪になるとテントの周りに雪がどんどん吹き溜まってしまう。テントが潰されたら終わりなので、雪が溜まり始めたら猛吹雪の中を皆でひたすら除雪を行う。雪粒が顔にあたって寒くて痛くてびしょ濡れになって、それがまた楽しい。悲惨な経験もあったが、それも全て笑い話になる。 掘削と解析が終わって荷物の梱包が終わる頃には、手は傷だらけで唇は割れ、肌は日焼けでぼろぼろだ。自分では分からないが臭いも相当ひどいのだろう。全ての観測が終わり、飛行機に揺られ氷河を見ながらふもとに向かう。そして、街に戻り、1ヶ月ぶりのシャワーを浴び、仲間とともにビールを飲む。こんなに最高の瞬間はない。 私にとって「掘ること」は試料を得る手段だ。しかしそれだけではない。きれいな氷河の上で仲間とともに生活し、壮大な自然現象を自分で見て感じ、観測すること、その全てが私にとってのフィールドワークだ。研究としては、ここまでで半分。その後、低温室でアイスコアを処理し実験室で分析してデータが出てようやく研究が始まる。自分で採取した試料は「かわいい」。だからこそ、徹底的にいじりたおしたくなる。嵐の後。掘削用のテントが壊れてしまった。テントが吹き飛びそうになり、ドラム缶や箱を載せて嵐が収まるのを待った。17Field+ 2011 07 no.6

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