ストーンタウンダルエスサラームペンバ島ザンジバル島ザンジバルはだしの歌姫 キドゥデさんは、知る人ぞ知るタアラブの歌姫である。タアラブとは、エジプト起源のスワヒリ音楽である。世界のあちこちでコンサートを開き、そのたびに名声を高め、世界的な賞も受賞している。初めてキドゥデさんに会ったのは、これも1980年代。年齢は自称103歳であるが、誰も本当のところはわからない。ザンジバル郊外のアフリカ人居住地区ンガンボの薄暗い長屋に、甥や姪と一緒に住んでいた。二度ほど結婚したが、自分の子供はいない。つい2〜3年前、インタヴューをしに再びキドゥデさんの家を訪ねた。驚いたことに、当時と少しも変わらぬ長屋に住んでいる。はだしで歩きまわっているのも昔と変わらない。イキドゥデさんの晴れの舞台。伝統的なタアラブを継承する伝説的女性歌手。本文に登場するアシャの叔母さん。英語教師をしていたが、今は成人した息子とロンドンで暮らす。ザンジバルには女性だけの協同組合がいくつもある。ヤシの葉などでござやバックを製作する女性。ンタヴューの合間にブラジャーからタバコを取り出しては一服する。それが何よりの楽しみらしい。そんなキドゥデさんのプロ根性に触れたのは、ある晩のコンサートの時だった。キドゥデさんの出番はトリと決まっている。ということは午前1時をまわる。なのに、開演時間の午後8時には会場に現れ、じっと出番を待っているのだ。日本円にして200円ほどで新調したという自慢のきらびやかな衣装を身につけ、ピーンと背筋を伸ばして座っている。「歌うことがわたしの仕事、立派な家に住んでぜいたくをするのは性にあわない」。それが、キドゥデさんの変わらぬ生き方である。コンサートはキドゥデさんの迫力ある歌声と大観衆の熱狂とともにお開きになる。いかにもスワヒリ的雰囲気の愛らしい女性。日本の青年と結婚。しばらく音沙汰がないが元気でいるだろうか。 * * * さまざまな民族が往来したザンジバルには、15世紀以降の都市社会の形成にともない王族を頂点とした階層社会が出現した。その後、ポルトガルやオマーンやイギリスの植民地支配も経験した。しかし、社会の基層には、もともと母系制社会だったバントゥー文化が脈々と今に受け継がれているように私には思われる。その伝統は、長期間夫が家を空ける船乗りや商人の娘が生家にとどまる風習に引き継がれてきたと指摘する研究者もいる。さらに、イスラームの浸透によって、女性は、遺産相続の権利を与えられた。ザンジバル女性のたくましさは、こうした長い歴史過程の中で培われてきたのかもしれない。ストーンタウンのとあるホテルの従業員。素敵な制服につい……。この制服は、毎年新しいデザインにチェンジする。ストーンタウン近郊には、つぼ作りで生計を立てている村がある。その担い手はすべて女性。11Field+ 2011 07 no.6
元のページ ../index.html#11