フィールドで忘れてはならないことは、「女性もそこにいる」ということ。「人間」を見ているといいつつ男性しか見ていないフィールドワーカーは、今でも結構多い。それでは、社会の半分しかわからない!ストーンタウンの街角風景。エナメルペイントの絵が路上で売られている。ザンジバル島の東海岸は、観光客にとっては、まさにこの世の楽園。イタリア資本のリゾートホテルが並ぶ。観光客相手に海辺で編み込みの髪を結う女性。インフォーマルビジネスの代表格。10 ザンジバルとは、アフリカ東部沿岸のインド洋上に浮かぶ大小の島々を指している。地図でみると南緯5度から7度の間に位置し、沿岸からおよそ30〜40キロの海上に、まるでけし粒のように点在している。 人口は約120万人(2002年)。1964年に、大陸部のタンガニーカと連合し、タンザニア連合共和国となり、現在にいたっている。 私は1980年代から、このザンジバルを歴史人類学的研究のフィールドとしてきた。80年代は、もっぱらインド洋西海域における19世紀の金融ネットワークを調べ、90年代には女性の労働に関しての調査を、最近は歴史に名を残した女性の末裔を追いかけたりしている。ストーンタウンの夜景。3〜4階建の石造りの町並みを彩るステンドグラスが目を惹く。たくましさと優しさ ファトゥマは、ザンジバル名うてのフェミニストである。ストーンタウンと呼ばれる都市部のど真ん中のマンションにひとりで住んでいる。壁に飾られた往時の写真を見ると、大変な美女である。今、還暦を過ぎて少々ふと目になったが、その分、カリスマ性が加味され、貫禄がついた。もともとジャーナリストで鳴らした女性である。その縁もあって、国際機関の依頼で、女性の社会調査なども手掛けており、ザンジバルの女性についてなら誰にもひけをとらない知識の持ち主と、自負している。彼女を見ていると根っからたくましく強い印象を受ける。そう言うと、「ザンジバルの女性は本土の女性と比べたら、とてもたくましいのよ」という答えが返ってきた。夫を袖にする女性も多いのだという。そういう彼女も離婚経験者だ。だが、夫とは「今でもよい友だち」なのだという。そして、独立したひとり息子をこよなく愛している。大切なのは自立 アシャは、ザンジバルの幾重にも多様な文化を身につけた女性である。皮膚は黒くもなく、白くもなく、アラブ的でもあればインド的でもあり、「笑い」はまさにアフリカ的である。私がアシャに出会ったのは、はじめてザンジバルに足を踏み入れた80年代であるから、それから30年近く、アシャの家族との付き合いは続いている。アシャは言う。「女性にとって一番大切なのは職業」と。家族よりも何よりも先ずは職業、と言い切れるアシャを、私は、すごいと思っている。アシャと出会った時、アシャはすでに電信電話局の技師だった。すでにひとり目の子を抱えていたが、それから10年ほどの間に、さらに5人の子どもをもうけた。彼女のすごさはそれだけではない。定職のない夫にかわって、夫の両親と障害を持つ義妹の面倒もみてきた。今では、夫の両親を看取り、子どもたちも成長し、上のふたりはそれぞれ独立した。今の彼女の夢と希望は、他の3人の男の子と、末っ子であるひとり娘に託されている。以下は、そんなフィールドワークの中で出会った記憶に残る女性たちの素顔である。Field+ 2011 07 no.6素顔のアフリカ女性ア・ラ・カルトザンジバルのフィールドから富永智津子とみなが ちづこ / 宮城学院女子大学キリスト教文化研究所客員研究員、AA研共同研究員
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