仏教遺跡で知られるミャンマーの古都バガンの名物喫茶店ミョーミョーの看板(ビルマ語、ビルマ文字)。左上にはミャンマー・ビールの広告も見える。との関係である。 アラム文字はアケメネス朝ペルシア帝国(前550〜前330年)の公用文字として非常に広く用いられており、マウリヤ朝時代またその以前の東西交渉史からみても、インド人がアラム文字の知識をもっていたことは十分推測できる。確かにブラーフミー文字には、アラム文字の字形とそのあらわす音に対応すると考えられる例【図2】がいくつもある。それらの字形の多くは、古代文字の伝播の過程でよくみられるように、文字の上下や左右を逆にした上での類似である。一方ブラーフミー文字には、アラム文字にはないインドの言語特有の音をあらわす独自の文字のほかに、当時の標準的なアラム文字では説明できない字形も多く含まれていることも確かである。このことからブラーフミー文字はまだ知られていないアラム文字の変種から派生した可能性があると論じる学者もいる。もしこの仮説が正しく、両者を結ぶミッシング・リンクが明らかにされれば、漢字を除く世界の文字の大半がフェニキア文字の子孫ということになる。音節文字ブラーフミー文字 ブラーフミー文字は、仮にアラム文字の流れをくむとしても、最初から全く性質の違う文図3 「カ」と「キクケコ」転写記号ブラーフミー文字デーヴァナーガリー文字ベンガル文字字として出発する。アラム文字は、基本的に子音のみをあらわし母音はあらわさない。たとえば英語のpat、pit、put、pet、pot を区別することなく単にptとあらわす要領である。一方、ブラーフミー文字は母音を常に明示的にあらわす音節文字である。まず子音字そのものが、最初から母音aを含んだ音節文字である。ちょうど仮名文字の「カ」(ka)と同じで、子音kと母音aに分割できない。a以外の母音を含む音節は、子音字の上下左右に一定の母音記号を付けて「キ」「ク」「ケ」「コ」をあらわす【図3】。母音記号が付くと、子音字は純粋に子音のみをあらわす。この表記法はとても経済的で、仮名文字のようにすべての音節に固有の文字を割り当てる必要がない。たとえば10個の子音字と4個の母音記号(母音記号がないことも含めれば5個)で、計50個の音節をあらわせる。 単独の子音字に母音aが含まれているという点について、単音文字であるギリシア文字やラテン文字からみれば、文字の発展プロセス宗教的な聖域での酒類売買および飲酒を禁じたタイ語(タイ文字)の標識。左側の酒瓶とグラスの後ろに描かれているのは、仏教寺院の屋根を象徴化したものである。タイ東北部ブリーラム県にて。において進化が不徹底であるという考え方がある。しかしアショーカ王碑文の言語を統計的に解析すると、母音がaで終わる音節、つまり単独の子音字だけであらわせる音節の頻度が、すべての音節の中で最も多く40%を超すことがわかっている。このため、多くは子音字だけで用が足り、母音記号を付けたとたんに純粋の子音文字として機能するブラーフミー文字は単音文字よりも効率的であるともいえる。 後世、ブラーフミー文字から派生した各種インド系文字が、時代も場所も異なるさまざまな言語を表記することになったとき、この子音字にアプリオリに含まれている母音aをどのように消すか、つまり子音だけをあらわしたい場合どうするかという問題に直面することになる。こうした不具合は、特定の言語と特定の文字の、最初期の「幸福な結婚」が過ぎ去った後、どの文字も抱えることになる宿命である。少なくとも、ブラーフミー文字はアショーカ王碑文の言語を記すには、必要にして十分な文字だったと言える。ニューデリーの中心地では、道路の大小に関わりなく、道路標識を目にする。道路名は、デーヴァナーガリー文字(ヒンディー語)、ラテン文字(英語)、グルムキー文字(パンジャービー語)、アラビア文字(ウルドゥー語)の4つの文字で書かれている。Field+ 2011 01 no.55
元のページ ../index.html#7