絹糸のカシュタで布地全面を装飾した上着。約3キロの絹糸が使われている。観光客用に販売する商品の刺繍糸は必ず絹糸だ。それはシルクロードのイメージに良く当てはまる。普段女性たちが使う刺繍糸は工場製の刺繍用綿糸である。結婚式後の花嫁お披露目会で金糸刺繍の上着を着る女性。クを行った。カシュタを制作する女性の手 ウズベキスタンでは挨拶の時にまず握手をする。刺繍を施す若い女性たち、その多くは10代後半の女性たちだったが、握手をするとみな大きくて、私より乾いた手をしていた。これは乾燥地帯のウズベキスタンで、村落部の女性たちが綿花摘みや家庭菜園などの農業や日々の家事をこなすからである。村落部女性たちはムスリム(イスラーム教徒)であっても屋内だけで過ごす訳ではない。綿花収穫期である10月、学齢の女性たちでさえ早朝から夕方まで綿花摘みにかり出される。「綿花摘みは最悪の仕事よ、家で刺繍しているほうがよっぽどいいわ」。 綿花摘みのみならず、感心するほどよく働く村落部女性たちは若い頃から、大きくて乾いた手になる。その手が雑多な仕事の合間をぬって制作するもの、それがカシュタである。カシュタを仕事にする S地区のカシュタ制作では、主にサテン系とチェーン系のステッチ(刺繍の刺し方)が用いられる。チェーン・ステッチとは鎖状に連続して糸を渡す技法で、世界中で最もポピュラーな刺繍技法である。サテン系ステッチは他の地域でも用いられるが、チェーン・ステッチのみでモティーフの全面を覆う点がブハラ刺繍の特徴の一つである。ただ、このステッチは誰でも取り掛かりやすいが極めがたい。一定の密度で同じ大きさの鎖をつなげていくのは根気と集中力を必要とし、私も挑戦したが作品が仕上がる前に飽きてしまった。このような根気のいる仕事でも、村落部の女性たちは実にこつこつと制作にいそしむ。それは、カシュタが女性たちに収入をもたらすからである。 現在S地区では、村落部女性は花嫁道具を飾るためだけにカシュタを制作している訳ではない。1991年のウズベキスタン独立以降、激増した観光客向けの土産物としてカシュタを制作する。労働年齢に達した全成人が就業できる環境と退職後の年金が保証されていたソ連時代が過ぎ去った今、人々は自力で仕事を見つけなければならない。特に村落部では国営工場の多くが倒産し、綿花収穫期以外に女性たちが定収入を得るのは難しい。そのような状況において、これまで培ってきたカシュタの技を応用して村落部女性たち自ら新たな収入源を作り出してきた。 もっともカシュタの仕事には固有の難しさがある。作品をデザインして制作し、販路まで確保しなければならないカシュタ事業家にとって、なぜ他の人の商品が売れて、自分の商品が売れないのか、これは永遠の謎である。 「同じように豊富なシルクを使って、最高品質の布地だって使っている。そして布地一面にカシュタを施して時間も手間もかけている。なのに、なぜ売れないの」 それまでは皆と同じように働けば同じ収入が得られるソ連式の社会主義的労働環境で働いてきた。計画経済下では、労働者が生産ノルマを達成すれば給与が保証されていたのである。だが市場経済への移行後、工芸品であるカシュタは顧客――その多くは欧米を中心とする外国人――の審美眼に適うか否かが売り上げを左右する。ソ連式計画経済で働いてきた人々にとっては、我々には見慣れた市場経済における格差が、強い戸惑いをもたらすようだ。 そうは言っても、確実に売り上げを伸ばし、経済的に成功する事業家も増えてきた。彼女たちの多くは社会主義改革の恩恵で普及した高等教育を受け、芸術学や民族学関連の本で学んだ「伝統」的なモティーフやデザインを商品開発に応用して成功を収めている。ソ連時代の遺産として必ずしも負の側面ばかりではなく、彼女たちが自ら解決策を見いだす力も受け継いでいることが分かるだろう。 仕事という視点からカシュタを眺めることは、工芸品という「もの」に携わる人間の生活を描き出すことでもある。それはカシュタという工芸を媒介に、人と「もの」がつながる世界の発見といえよう。発見だけではなく、自らもその世界に触れられる所にフィールドワークの醍醐味がある。観光フェスティバルは外国人が多数訪れる。スザニはウズベキスタンの土産物として人気の高い商品である。綿花摘みをする女性たち。彼女も普段はカシュタを制作している。Field+ 2011 01 no.13131
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