フィールドプラス no.5
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Field+ 2011 01 no.5かつてエトが聖霊を吹き込んだという「ロープ」の前で礼拝を行うCFCの信徒たち。パラダイス村は1956年から3年間の歳月をかけて完成した。当時の植民地行政官の中には、同村における規律正しい生活や整然とした家並みに感銘を受け、「モデル村にしよう」と主張した者もいたほどである。28エトは1983年に亡くなりましたが、次男がその地位を継いでいます。神が世襲されたわけです。その後、2005年に、次男は宗教活動と地域社会への貢献が称えられ、KBE(大英帝国勲章ナイト爵)の爵位を得ました。余談ですが、ビル・ゲイツも同じ年に同じ爵位を得ていますね。またホーリー・ファミリーは政界にも進出していて、現在2人が有力な国会議員になっています。【石川】 CFCの本拠地、パラダイス村はどのようなところなのでしょうか?【石森】 パラダイス村はニュージョージア島の北部にあります。それまでの生活とは異なる「新しい生活」を実現しようとするエトの理想を具体化した村で、CFC信者の共同作業によって建設されました。人口は約1000人で、これはメラネシアの村落としては異例の規模です。住居配置も特異で、同じ大きさ、同じ形態の家が等間隔を保ってV字型に並んで建てられています。【石川】 パラダイス村での調査は順調に進んだのでしょうか?【石森】 最初は大変でした。まずエトが興した運動がどのように拡大してCFCが成立したのかを知りたくて村人に尋ねたのですが、彼らにしてみれば神聖なことなのでみだりに語るべきではない、間違ったことを言ってはいけないという思いが強く、「私などではなくえらい方々に聞いてください」という反応ばかりでした。村人の前にレコーダーをどんと置いてペンを片手に「聞くぞ~」と意気込んだことも悪かったと反省しています。とにかく早くたくさんのデータを取りたいという一心で、相手を緊張させてしまっていたと思います。とくに信仰に関する事柄なんて、矢継ぎ早のやり取りで分かるはずがないですよね。【石川】 私は歴史学を専門としていますが、史料から情報を読み取る歴史学者とは異なる、人類学者ならではの苦労ですね。その後どうやって聞き取りができるようになったのでしょうか。【石森】 とにかく村の人びとと生活をともにしつつ、毎晩ケロシンランプの灯りを頼りにその日に見聞したことをできるだけ詳細にノートに残すことを続けました。そうしているうちに段々聞き取りができるようになっていきました。例えば「『生ける神』のことをどう考えている?」と聞くと人びとは答えに窮します。「分からない」とか「神は神だ」というでしょう。しかし、ある出来事が起こったとき、人びとはそれに対して「生ける神」の霊的な力が作用しているに違いないと考え、その出来事を語る際に「生ける神」に関する自らの見解を吐露することがあります。ただし、それは私がペンを片手に聞き出せるような情報ではありません。1日の仕事を終えた人びとが何気なく集まり、ビンロウの実でもかみながら、まったりと話をしているときに語られるような情報の類といえます。もちろん、そのような話には論理的な一貫性を欠く情報も多く含まれます。その一貫性の欠如の仕方にも何らかのルールがあるのかもしれないと思いながら辛抱強く聞き取りを重ねていきました。【石川】 人類学研究において情報を収集し、そこから何かを見出すことが一筋縄ではいかないことがよく伝わってきます。それにしてもそこまで人びとの語りにこだわるのはなぜでしょうか?【石森】 もちろんCFCの幹部に聞けばいろいろと話してくれます。それはそれで重要ですが、そのような情報を積み上げても「公式パンフレット」と同じものしかできません。そのような語りでは得られない、しかしCFCというものをより深く知ることができるような情報が人びとの語りの中には豊かに含まれているからです。【石川】 なるほど。そのような聞き取り調査に基づいたCFC研究で博士号を取得なさり、近々博士論文が出版されるそうですね(1)。【石森】 博士論文ではCFCの全体像を明らかにすることを目的として、CFCの形成史に始まり、共同生活の実態など社会的側面、そして教会儀礼や信仰のあり方など宗教的側面について考察しました。メラネシアを対象とする人類学は、一般的に伝統文化に注目する傾向が強く、これまでキリスト教の現代的動向に関する研究は十分に行われてきませんでした。その理由の1つは、おもに欧米の人類学者にとって、キリスト教はメラネシアの文化ではなく自文化に属するという認識からでしょう。しかし、極めて熱心に信仰される教会について調べなければ、今を生きる南太平洋の人びとの暮らしを明らかにできないと思ってこの研究を始めました。とはいえこれほどまでにこの地域にキリスト教が根付いたのはなぜかという根本的な問題をはじめとして、解明されていない問題は依然として多く、興味はつきません。紛争後社会をフィールドワークする【石川】 現在もニュージョージア島で調査を続けておられるのでしょうか?【石森】 ソロモン諸島では1998年から2003年にかけて大規模な紛争が起こりました。最近はこの紛争が人びとに与えた影響を調査するプロジェクトに参加して、主に首都ホニアラのあるガダルカナル島で人びとの紛争に対する認識、紛争下の経験について研究しています。【石川】 この研究はそれまでの宗教運動研究とは全く異なる新しい研究なのでしょうか?【石森】 いいえ、そうではありません。ソロモン諸島の紛争と同時期に南太平洋のいくつかの国々で同様の紛争が起こりました。これらの紛争については、独立後の経済破綻がもたらした社会的不安定に原因を求める見解が現在主流です。このようなマクロな視点はもちろん重要ですが、紛争を経験した人びとの語りに耳を傾け、ミクロな視点から見ることを通して、それだけではこの紛争について十分理解できないのではないかと感じるようになりました。独立後の30年程度だけではなくより長い期間を対象とし、現在の紛争と過去の宗教運動に関わった人びとの認識に注目することにより、両者の連続性を明らかにするような研究が必要ではないかと考え、調査を進めています。【石川】 歴史学研究の立場からも大変興味深いご研究です。【石森】 またこの紛争ではキリスト教会が秩序回復においても重要な役割を果たしました。教会は、有効な打開策を打ち出せない国家を尻目に、紛争の影響で生活に困窮する人びとを多方面から支援してきました。紛争の

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