今回は、ソロモン諸島を中心に南太平洋の島々でフィールドワークを行っている人類学者の石森大知さんにお話をうかがいました。ソロモン諸島の人びとが独自に発展させたキリスト教に基づく宗教運動やこの地で起こった紛争と人びとの関係についての石森さんのご研究、また理系研究者との共同研究における貴重な体験についてご紹介いただき、南太平洋をフィールドとする人類学研究の魅力をお伝えします。26CFCの教会行事にて、伝統的な戦闘用カヌーを漕ぐ人びと。ソロモン諸島ニュージョージア島の子どもたち。して調査することが本当に楽しいです。私がソロモン諸島に初めて行ったのは2001年のことですから、もう10年ほどの付き合いになりますね。ツバル・ヴァヌアツフィジートンガニューカレドニアヴァングヌ島ホニアラガダルカナル島パプアニューギニアオーストラリアソロモン諸島パラダイス村ニュージョージア島Field+ 2011 01 no.5サモアメラネシアポリネシアインタビュー南太平洋 でフィールドワーク をするソロモン諸島の宗教と社会石森大知 いしもり だいち / AA研研究機関研究員インタビュア--石川博樹(編集部)ソロモン諸島研究との出会い【石川】 まず文化人類学との出会いについて聞かせていただけますか。【石森】 私は大学時代経済学部に所属し、当時経済発展がめざましかったASEAN、その中でも特にマレーシアに興味を持って統計資料を集めたりしていました。でも実際にバックパックを背負ってボルネオ島を含めマレーシアの各地に何度か行ってみると、統計などの数値では拾えない部分もあるように思えてきました。というのも、数値上の目覚しい発展の一方で、それを実感できない人びと、スラム的な場所に住むようになった人びともいたからです。そのような人びとの話を聞いているうちに、少なくとも自分が興味をもっているのは、数値では表せない人びとの生活であり、文化である、ということが分かりました。その中で文化人類学という学問があることを知り、大学院に進んで学び始めました。【石川】 フィールドは最初からソロモン諸島だったのですか?【石森】 いいえ、修士時代は、短期間でしたがフィジーをフィールドとして調査していました。その後、博士課程に進学してから東京大学大学院医学系研究科を中心に組織されたソロモン諸島研究プロジェクトに参加させていただき、ソロモン諸島で調査を始めました。ただ、大きな声ではいえませんが、当初、ソロモン諸島にはあまり行きたくなかったんです。大規模な紛争がおこっていましたし、フィジーと違ってマラリアもありますし(笑)。でも今ではソロモン諸島に行って人びとに会い、村落で生活をともにし、そソロモン諸島ってどんなところ?【石川】 ソロモン諸島といえば、第2次世界大戦中の日米の激戦地として、特に多数の日本人が戦死したガダルカナル島があることで知られています。この地域に住んでいる人びとについて説明していただけますか。【石森】 ソロモン諸島は、太平洋の南西部にあたるメラネシア地域に位置していて、1978年にイギリスの植民地支配から独立した新しい国です。人口は50万人ほどですが、言語の数は数え方によって100を超えます。2万人ぐらい話者のいる言語集団もあれば、私の調査地で話されるクサゲ語のように、話者が2000人に満たない言語も数多くあります。1つの島でも徒歩圏内の隣村では違う言語が話されていることも珍しくありません。そのため人びとは、意思疎通のために「ソロモン諸島ピジン」という媒介となる言語を作り出し、共通語として使用しています。この地域に住んでいるのは、オーストラリア先住民と祖先を同じくするオーストラロイド系の人びとのほか、彼らと混血したモンゴロイド系の人びとです。【石川】 人口50万人で、言語数が100以上ですか。それぞれの言語集団で文化も異なるのでしょうね。【石森】 はい。ソロモン諸島の東に位置するトンガ、サモア、ツバルといっ
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