首長国連邦アフリカ大陸東岸からインド亜大陸西岸に拡がるインド洋西海域では、古くからモンスーンを利用した航海活動が行われてきた。僕は現在、フィールドでの経験を活かしつつ、この海域を中心とした新たな歴史世界像の構築を目指している。インド洋西海域史研究と フィールドワーク 19世紀インド洋西海域世界を主たる研究対象とする僕がフィールドワークで得たデータを縦横に用いることはとても難しい。21世紀に入った現在、19世紀の出来事を当事者として記憶している人に出会うことも、その当時の町並みや建築物に出会うこともほぼ不可能に近い。インド洋西海域を象徴するダウ(三角帆を張った木造帆船)を見つけるのはたやすいが、現在となってはその多くがエンジンを積み、航海の仕方も変化している。それでも、僕はフィールドワークに出かける。それはなぜか。フィールドには、文書や先行研究からは得られないヒントがそこかしこに転がっているからだ。 インド洋西海域の気候は「モンスーン(季節風)」によって特徴付けられる。北東モンスーンと南西モンスーンが定期的に交替することで、この海域では海を跨いだ2つの場所を結ぶ安定した往復航海活動が可能なことは、紀元後1世紀後半に著されたとされる『エリュトゥラー海案内記』でもすでに言及されている。このように、インド洋西海域での航海を考えるうえでモンスーンは欠かすことのできない要素なのだが、航海活動、そしてそれによって実現される物質的な交換を契機として繋がり合う人々にとってのモンスーンは、航海のリズムを定めるだけのものなのだろうか。これが現在、僕が取り組んでいるテーマであり、そのヒントこそフィールドで見つけたものだ。ヒントに出会う 僕がアブド・アッラーとラーシドに出会ったのは、オマーンの港町スールに行ったときのことだ。8月のスールの太陽は僕の肌をジリジリと焼き付けていた。当時、建築用の木材に乏しいとされるこの地域でどのような木材がどこから輸入されてきたのかについて、何か情報が得られないかと海岸通りを歩いていた僕は、一軒の崩れかけた大きな廃屋を目にした。廃屋は内部の様子や壁面のなかなど、なかなか見られない部分を観察できるので好都合だ。梁には太いチーク材が用いられ、梁と梁とのあいだにはマングローヴ材が渡されている。その廃屋はおそらくかつては立派な邸宅だったのだろう。がれきの山に登ったりしてひと段落つくと、ふと隣家の門の前で2人のおじさんたちが座っているのを見かけた。話しかけてみたくなり、僕は近づいていった。彼らがアブド・アッラーとラーシドだ。2人はぎこちない挨拶をする汗と廃屋の埃で汚れた僕を招き入れてくれて、よく冷えたジュースをふるまってくれた。廃屋の主はドバイに現在住んでいること、マングローヴ材は東アフリカから、チーク材は南インドからそれぞれ運ばれてきたことをそこで知った。日陰は心地よく、しばらく話をしていると、夕暮れ時の礼拝を呼び掛ける声がモスクから聞こえてきた。彼らはモスクへ、僕はホテルに戻った。 翌日も夕暮れ時、僕は同じ場所で同じように話をしていた。そんな感じで、毎日、彼らのうちのどちらか、あるいはその両方と夕暮れ時を過ごすのが日課になっていった。話をしていくうちにわかったのは、ふたりともナーホダー(航海中に於ける船舶の最高責任者)の家系だということだった。アブド・アッラーの家は父の代までアデン湾への航海を専門とし、数隻の船舶を所有するナーホダーで、ラーシドの方は祖父の代までイラク、インド、東アフリカに頻繁に航海をしていた。この話を聞いた時点では、僕の意識は彼ら自身ではなく、彼らダウ(三角帆を張った木造帆船)。20オマーンバラド・アル=スールマスカットスールドバイムンバイスールアデンField+ 2011 01 no.5南西モンスーン北東モンスーンザンジバル島マダガスカル島ペルシア湾オマーン湾インド洋ドバイアラブイランフィールドノート 風とともに季節はめぐるフィールドから見えてくる インド洋西海域世界のリズム鈴木英明 すずき ひであき / 日本学術振興会特別研究員(東洋文庫)、AA研共同研究員
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