廈アモイ門に語学留学したことのある隣町出身の教師。ルンバンにも親戚が多い。る場もない。そんな彼女らが急に中国語を学び始めたということを、一体どう解釈すれば良いのだろう。彼女らは華人だから当たり前なのだろうか。それとも、華人が失われた「華人らしさ=華人アイデンティティ」を復興させようとする動き、すなわち「再華人化」と呼ばれる現象が今まさに起きている、と結論づければ良いのだろうか。頭で考えるよりも、まずは地道に人々の日常の場からこの現象を見ることにした。共に生活する中で見えてくるもの この町には以前から、児童向けの英語や算そろばん盤の塾があった。2005年初頭にはそれらと並んで中国語の少人数教室も開設され、翌年からは隣町生まれの若い華人女性が新たな教師になった。そこに大挙して集まってきたのが上述の彼女らであった。も、どれも1年ほどで飽きてはまた別の集まりを作る、ということを繰り返してきたのだ。この中国語教室もそんな同好会を思い起こさせるパターンではないか。 そこで改めて、すでに教室を辞めた人をつかまえては、「今日はレッスンないの?」ととぼけて聞いてみる。すると、「いくらやっても喋れないし、子供の勉強を見る時間もない。それに△△さんも辞めちゃったから」との返事。どの人も、日4444仲間とのつき合いのこ常の雑事、それにいつものとを口にする。調べていくうちに、そもそもこの教室に彼女らが集まったのも、隣町から来た教師の親戚周辺から広まった口コミによるらしいことが分かってきた。 こうして日々の会話や行動を通して見えてきたのは、どうも彼女らは、他の同好会に集まるのと同じ気軽さの延長で中国語学習に臨んでいたらしいということである。日常の中から立ち現れるデータ このことに気づくためには、歴史的背景の理解はもちろんだが、何よりも人々の日常を知らなければならない。その中には、日頃からつき合いを重ねて人となりを把握したり、日々の会話の様々なトピックを理解しておくことなども含まれよう。早朝のサイクリング、昼時の寺廟での雑談、夕時のダンス教室など、生活の様々な場を知り経験を共にしておくことも重要だ。と、このように言うと、何ら目的のない調査だと思われるかもしれない。実際私もよくフィールドの人から、「お前はフラフラしてばかりで、ちゃんと調査しているのか?」と心配されたものだ。だがそうして「フラフラ」しつつ見聞し経験したことが、たとえば中国語学習ブームの実態や、人々の「華人らしさ」に対する意識のあり方を考える際の大事な材料として、後々生きてくることがある。そうした人々の日常に沈潜している形もまとまりもない情報や経験が何らかの発見に結びついた瞬間、私は「データを採っていた」ことになるのだ。 ところで、華人の間での中国語学習ブームは、ルンバンでのみ見られる特殊な現象ではなく、実は近年インドネシア中で観察されており、例の若い教師のように中国への留学者も増え始めている。これが仮に大きな潮流ともなれば、ルンバンで見られたあのブームも──20世紀初頭の現象が普通そう語られるように──結局は「再華人化」の一端だったのだ、とひと括りにされてしまう日が来るかもしれない。だが、「華人らしさ」を調査することに専心して安易に結論を先取りするのではなく、まずは人々と共に暮らしつつ、今この瞬間生起していることを慎重かつ微細に見てゆく。そうする中で浮かび上がってきたのは、彼女らの「華人らしさ」ではなく、むしろ日常を生きる普通の「おばさま方」としての姿であった。昼時、寺廟に集まり雑談にふける男性陣。ジャカルタバンドンスマランルンバンスラバヤ仲良し同士集まって、買い物やピクニックで遠出をすることもしばしば。Field+ 2011 01 no.5インドネシア 彼女らはさほど高くない月謝を払い、毎週2回ずつ少人数のグループに分かれ、基礎から勉強を始めていた。そんな彼女らに向かって直接的に、「あなた方はどうして中国語を学ぶのですか」と聞けば、「本来44中国語は私たち華人の言語だから」という答えが返ってきただろう。そうした言葉を引き出して、「再華人化」の典型と結論づけることも可能だ。ただ、彼女らの日常の何気ない会話や日々の行動に目を向けると、そうとは言い切れない別の側面も見えてきたのだ。 たとえば気軽な雰囲気の中で、誰に誘われ教室4444○○さんに通い始めたかを尋ねると、「いつものよ」と返事が返ってきた。お昼時、町内の寺廟に集まり雑談に興じる男性陣に交じって、「奥さんはずいぶん熱心に教室に通ってるね」と何とはなしに話しかけてみると、「家ではちっとも勉強せず、ただ時間潰しのためだけに集まって……」と予想外の愚痴も聞こえてきた。 1年後、再びルンバンの町を訪ねてみた。すると、中国語教室の参加者は、あのブームが嘘だったかのように激減していた。「華人らしさの追求」はどうなってしまったのだ? その時ハタと思い出したことがある。そういえば彼女らは、以前からも気の合う仲間同士で様々な趣味の集まりを作ってきたのではなかったか。思い当たるだけでも、2002年半ばのサイクリング、2003年のダンス教室、その年の暮からはスイミング……。そう、娯楽に乏しいこの田舎町で時間とお金にゆとりのある彼女らは、いつも似たようなメンバーで同好会を立ち上げてきた。しかジャワ島19
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