めての調査地では、調査許可も兼ねて、まずはコミュニティにおける名士や文化人と呼ばれる人びとを訪問することにしている。しかし、話題は往々にしてどこかで読んだような歴史講釈ばかり。「昔話を」と願い出ても、酒で話を濁されるのが関の山。どうやらこの地区で「文化的」とは漢文化に馴染むことを指すらしい。ワ語で語れる人はめっきり少なくなっている。 人伝を頼り、ようやく語りのできるという古老にたどりつく。しかし会話もそこそこ、物語など始める気配は全くない。ことばは言霊。やはり門外不出なのか。勝手にそう納得しかけたところ、家人が夜にまた来いという。やむなく村内をぶらつき、鶏や豚を追い、トウモロコシの皮むきを手伝いながら、日が暮れるのを待つ。日が暮れれば、真っ暗な山道を帰ることは難しい。暗澹たる気持ちになりかけた頃、炉端に村人が一人二人と集まってくる。一言二言。そして沈黙の時間。やがてパイプをくゆらせながら、古老がぽつりぽつりと語り始める。「今日は遠くから兄弟が訪ねてきてくれた。俺はうれしい。まだ俺も小さかった頃のことだ。年寄りがよく話してくれたんだが……。」夕闇に囲炉裏火。そしてタバコ。私の調査地ではこうした「雰囲気」が物語の重要な一部分のようである。近年、山の村にも衛星TVが入り、大音量で音楽を流す若者が増えた。語り部のみならず、語りの雰囲気も得難くなりつつある。書きことばのテキストを「採る」 テキスト収集は、話しことばに限るわけではない。条件さえ許せば、書きことばも貴重な収集対象となる。中国では、建国後、文字をもたない少数民族に対し、表記法を制定するという言語政策がとられた。ワ族も例外でなく、ローマ字による正書法(ワ文字)が考案されている。しかし残念なことに、漢字が圧倒的価値をもつ現状において、ワ文字を使うメリットは大きくない。それゆえにか、学ぶ機会さえほとんどない状況にある。何とかこの文字を生かす方法はないだろうか。 私にとって幸運だったのは、ホストファミリーの遠縁に、英語を学ぶ青年がいたことである。英語を学ぶのであれば、ローマ字に対する精神的障壁は薄いはず。早速、過去に記録されたテキストを教科書に、私はワ語の、彼はワ文字の相互学習を始めた。選定したテキストは、誤字脱字はおろか、「脱語脱文」までも多く含む、通読に堪えないものであった。読解作業は苦痛であったが、ずいぶん鍛えられたように思う。彼も自らのことばで、日記や思い出話を書き残せるほどになった。今では、自然発話テキストの文字起こしにおいても掛け替えのないパートナーである。研究成果を還元する 蓄積されたテキストは、何らかのかたちで公開することが望ましい。多分野の研究者が使えるように情報資源化することも大切な作業である。しかしながら、成果を研究のためだけにとどめれば、「研究者のエゴ」のそしりを免れまい。少なくとも、他人の生活空間に入り、人びとから言語的知識を得ることで成立するフィールド言語学においては、現地社会への「還元」という社会的責務を負うはずである。2007年、私は現地機関からの要請を受け、ワ文字に中国語訳を添えた民話集を公刊し、現地の万物創造の主を祀る聖林。無数の水牛頭が供えられている。伝統的信仰の一端を垣間見ることができる。初等教育機関に寄贈することにした。寄贈自体は大変喜ばれたが、漢文化を学ぶことに重点が置かれ、ワ文字を学ぶ課程もない中で、どのように利用されるのだろうか。徒労に終わるのではないかという不安は尽きない。それでも、自己紹介を兼ねてテキストを朗読すると、教室に笑いと歓声が沸き起こった。朗読の拙さがウケたのかもしれないが、私はこれに少し光明を見たような気がした。 かたちだけ還元して、それで事足れりもまた「研究者のエゴ」であろう。採ったテキストをどのように生かすかは、きわめて難しい問題である。世界の諸言語で様々な試みがおこなわれているが、これが正解といえる方法はあるまい。まずはコミュニティとよく意思の疎通をはかること、そして、必要に応じた協力ができるよう、常日頃から体制を整えておくことが重要である。市の立つ日にだけ現れる歯医者。調査協力者でもある友人を治療中。この後、症状がさらに悪化し、調査続行が困難になった。現地初等教育機関に寄贈した民話集。ローマ字式正書法に中国語訳を付した。Field+ 2011 01 no.517
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