村の風景。2005年頃を境に、茅葺の屋根はすっかり姿を消した。1620世紀初頭に伝来したキリスト教。聖書・讃美歌はもちろん、礼拝時の祈りの言葉なども重要なテキストとなる。雲南省調査地メコン川Field+ 2011 01 no.5フィールドの風景 「ヴー、ガウガーウ!」 小型バスを乗り継ぎ、途中下車して歩くこと1時間。大きなバックパックを背に、汗と砂埃にまみれた私を真っ先に迎えるのは、これまた砂埃にまみれたルワである。私は無類の犬好きだが、ルワはどうも苦手だ。毎年やってくるのに、いつも噛みつかんばかりに吠えまくる。犬は匂いで人を記憶するのではなかったか。いい加減に覚えろよと、棒きれで鼻面を叩くが、一歩も引く気配はない。さすが勇猛で知られるワ族に「ルワ(野蛮なワ族への蔑称)」と呼ばれるほどの犬である。 私の専門は言語学。中国雲南省西南部、メコン川以西に分布する「ワ」と総称される人々の言語を調査している。私のホストファミリーは急激に流入した漢族を嫌い、街外れに居を移した。ルワは漢族除けであるという。なるほど、日本人(ワ語で「水辺の漢族」と表現)にも遠慮がないわけだ。フィールド言語学 言語学とは、言語の様々な側面を解明しようとする学問である。言語資料さえあれば、どこでも様々に構想をめぐらすことができる。しかし、肝心要の資料に乏しい言語を対象とする場合、フィールドワークによる資料収集が不可欠となる。このようなパイプタバコをくわえ、たき火を囲む女性たち。正月の一風景。フィールドワークを主たる手法とする言語学を「フィールド言語学」と呼ぶ。 私はフィールド言語学には、二つの活躍の場があると考えている。一つは、言語そのものの構造解明である。もう一つは、言語を通してその話者集団の文化のありようを解明することである。両者は別次元の問題のようにみえるが、複雑に絡み合う部分も少なくない。話し手の生活・文化空間に入り込むフィールド言語学は、言語と言語外現実の切り離しがたい関係を認識することのできる、またとない現場でもある。言語研究とテキスト 未知の言語の調査は、通常、基礎語彙を集めることから始まる。単語の比較をとおして、音の種類や配列などを解明していくのである。音の仕組みがだいたい分かると、さらに大きな単位である句や文へと関心を向ける。多くの場合、事前準備した項目に対し、媒介言語から対象言語へと翻訳するかたちで調査をすすめていく。しかし、この調査方法はやがて行き詰ることになる。調査者の主観で選択された項目ばかりでは、「木を見て森を見ない」議論に陥りかねないからだ。このようなインタビュー調査の限界を克服するために、テキストの収集が不可欠となる。 ところで、フィールド言語学で求める「テキスト」とは、単に文以上の言語的まとまりを指すわけではない。会話資料はもちろん、神話や民話、詩歌やなぞなぞなどの口承文芸、さらには調理法や思い出話まで、当該民族の言語によって記録されたもの全般をテキストと呼ぶ。これらはもちろん言語構造の解明だけに資するわけではない。当該民族集団の精神世界や価値観を知り得る貴重な資料でもある。自然発話テキストを「採る」 テキスト収集は重要な作業項目であるが、その取り掛かりはなかなか難しい。初未知の言語と向き合い、虚心坦懐に書きとめる。それは同時に、話者の母語に寄せる愛着を知り、その言語文化の置かれた社会的状況を知ることでもある。何を「採り」、どう「生かす」か。それが問われている。 中華人民共和国山田敦士 やまだ あつし/日本学術振興会特別研究員(北海道大学)、AA研共同研究員テキストを採り、生かす採る 2
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