FIELD PLUS No.4
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29Field+ 2010 07 no.4 過去の遺物と考えていたものに、新たな意味を見出すことがある。新奇なものが、自分の活動にぴたりとはまり、なじみ深く感じられることもある。このような時、自らの活動は新たな息吹とともに豊かな形態を得ることになる。『革命の社会学』は、文化がこのように息づいていくさまを伝えてくれる。 フランツ・ファノン(1925年〜1961年)は、カリブ海におけるフランスの植民地マルチニックに生まれ、フランス本国で精神科医となった。後年、アルジェリアで民族解放戦線に参加し、独立戦争において指導的な役割を果たした。『革命の社会学』はファノンの二冊目の著作であり、1959年に原題『アルジェリア革命第五年』として出版された。一度変更された後、現行版では再び元に戻っている表題は、1954年に始まったアルジェリア独立戦争のさなか、戦争の当事者から発信されたことを示している。 伝えられているのは、形式主義に陥った土着の技術や風習と、植民者が持ち込んだ技術や風習の両方に、生活の一部としての意味が与えられていくさまである。植民地状況では、土着文化と外国文化の二分法的価値観が広がっており、後者は拒絶されていた。ところが、独立戦争が進行する過程で、両者の意味合いが変化し、統合されたひとつの文化が生成されていくこととなった。女性のまとう伝統的なヴェールの位置付けの変化と、ラジオ、医師、フランス語に与えられた新たな役割を、ファノンは具体的に述べている。例えば、植民者の技術として忌避されていたラジオは、状況把握のための道具に変化した。さらに、統合は技術やものだけではなく、ひとについても同様に成立していった。非ムスリムのヨーロッパ人も自らの意思でアルジェリアにとどまる限り、アルジェリア人として認められたとされる。 伝統と新技術が死んだ状態で内側にあるとき、文化は動的に保たれていないといえる。逆に、文化が動的に保たれていれば、適合するものは取りこまれて生命を与えられ、適合しないものは自ずと抜け落ちる。その結果、文化の一体性が保たれるとともに、その全体像が決まる。統合の単位は、制度的国家などの単純な単位には一致しない。文化の形態は、外部から全体の枠組みが与えられて決まるのではなく、自律的に定まっていく。 動きのある文化研究者の本棚本條晴一郎ほんじょう せいいちろう / 東京大学東洋文化研究所特任研究員植民地状況で抑圧された個人のための処方が記された『黒い皮膚・白い仮面』、社会変化のための処方が記された『地に呪われたる者』。ファノンの著名な二冊に挟まれて出版された本書は、文化の動きを生き生きと映し出す。 私は、文化の動的側面を、人間が自然に持っている学習能力に帰着させて理解している。学習とは、行動や思考において新たな習慣を獲得することに他ならない。動的な統合という現象は、「外枠を決めないこと」と「自律性を保つこと」の二つが相反するものではなく、学習という一つの現象の両面だということを理解させてくれる。 出自の異なる文化の真っ直中で快適に過ごすことのできる自分に変化する時、動的な変化を実感する。また、田舎だと先入観をもっていた場所で、突然に最新の電子機器を見つけて目を見開かされる経験は、自分が知らず知らずの内に想定していた外枠の存在を顕わにしてくれる。 私は現在、NTTドコモ・モバイル社会研究所と共同で、モバイルメディアがどのように利用され、どのように社会に位置付けられていくかを研究している。見出されるのは、ケータイという新しいメディアが、各自の文脈に基づいて利用される姿である。メディアがどのように扱われるかを具体的に見ていくことにより、人間の学習能力の豊かさを目の当たりにする。それぞれの個人、それぞれの場所で、まさに動的な統合が起きているといえよう。 無根拠な絶対視や排除が、植民地状況の文化と同様の、学習停止を意味するということをわれわれが顧みるまでもなく、現実は進行する。動的な変化は、人間の営みに共通する基盤なのだろう。文化の形と一体性学習と動的変化フランツ・ファノン 著宮ヶ谷徳三・花輪莞爾・海老坂武 訳『革命の社会学』(みすず書房、1984年、写真は2008年の新装版。原書は1959年にマスペロ社より出版、写真は2001年のデクヴェルト社版)

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