FIELD PLUS No.4
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20Field+ 2010 07 no.4  冒険と夢の世界 南アフリカはアフリカ大陸の最南端に位置し、領土が広く、気候が穏やかで、鉱物資源に恵まれ、金やダイヤモンドの世界的産地として知られている。中国や日本など東アジアの国々にとって南アフリカはもっとも遥かな国である。冒険精神さえあれば、そこには無限な財を成す機会があると信じて、生涯に一度喜望峰を訪れてみたいという夢をもつ中国人も少なくない。 まさにこのような夢を実現できると、1990年代末から、中国大陸から多くの移民が様々なルートを通して、合法或いは不法に南アフリカに移住している。その数は2008年までに15万以上に達し、そのうち福建省出身者がもっとも多く約8万人、彼らは主に福州地域の福清、長楽、連江などの出身者であるという。彼らのような比較的最近になって移住した移民のことをここでは「新移民」と呼び、彼らの南アフリカでの活躍ぶりについて紹介したい。 ご存知のように南アフリカは1994年にネルソン・マンデラ政権になって以降、人種間失業率格差による治安の悪化などが、外国人や観光客を怯ひるませる。白人や外資企業が集中するケープタウンはそれほどでもないが、ヨハネスブルグは特に治安が悪い。筆者が2006年12月に南アフリカのプレトリア大学で開催された世界海外華人研究学会 (ISSCO)に参加した際、空港に迎えてくれた福建同郷会の会長らの話によると、ヨハネスブルグあるいはその近辺の地域にいる新移民の大半は、強盗にあったことがある。チャイナタウンの周辺は特に危ない。昼間でも信号を待っている間に銃をもつ集団強盗に遭い、車に積んでいる金品が奪われるケースはけっして珍しくない。会長自身も家にいながら強盗に入られ、約10万ドルに相当する現金や貴金属類が盗られたという。私たちが到着する1ヶ月前には、台湾からの団体旅行のバスが強盗に遭い、観光客全員は身に付けた現金と貴金属が奪われた。また福建省政府の訪問団もヨハネスブルグ市内にある中華料理店で開かれた歓迎会の真最中に強盗に入られた事件なども聞かされ、恐ろしさに身震いがした。しかし、なぜ人々は危険を冒してもここに来るのだろうか。彼らに聞くと「危険だという理由で多くの企業や会社がここから撤退し、新たに進出してくる企業も少ないが、だからこそ我々にはビジネスチャンスがある。冒険がなければ、夢も実現できないから」という答えが返ってくる。なるほど夢のためならどんな危険を冒しても前へ進むというわけだ。それは成功した多くの新移民の特徴の一つであろう。従来の移住そして新たなルート 中国系移民の南アフリカへの移住の歴史は、19世紀に遡ることができる。1860年代頃、広東からはじめての南アフリカへの移住者が見られた。現在南アフリカにいる「老華僑」と言われる人たちのほとんどは彼らの子孫とされる。一方、1970年代、南アフリカは台湾と外交関係を締結していたため、台湾から多くの投資家や企業家が南アフリカへと渡った。彼らは「老華僑」に対して「新華僑」と呼ばれている。 ところが1990年代末になって、南アフリカは台湾と断交し、中国と外交関係を結んだ。この結果、中国大陸から多くの人々が南アフリカへ渡るようになった。「中国系新移民」である。彼らは移住して10数年しか経たないのに、南アフリカの流通に大きな影響力を持ちはじめているのである。中国人の国際移動の新たな流れ――アフリカ大陸の最南端にある喜望峰に流れていった中国系新移民。冒険心に富み夢の世界へ向かう越境起業家たち。その越境する社会的経済的ネットワークは国家のみによっては果しえない役割を担っている。フィールドノート 喜望峰に立つ中国系新移民南アフリカ王 維 わん うぇい / 香川大学、元AA研共同研究員アフリカの喜望峰から見る景色(2006年)。アフリカナミビアボツワナレソトスワジランドモザンビークジンバブエケープタウンヨハネスブルグ喜望峰南アフリカ共和国0300kmアフリカナミビアボツワナレソトスワジランドモザンビークジンバブエケープタウンヨハネスブルグ喜望峰南アフリカ共和国0300km

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