FIELD PLUS No.4
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9Field+ 2010 07 no.4 「プユット(パタニ市内の地区名)では何もおきていない」と、友人のヤも妹のアデも口をそろえていった。具体的にきくと2キロ先ではおきている、8キロ先ではおきているという。その後、ヤの兄とパタニ市内に買い物にいき、帰る途中「ここでも、ここでも(人が殺された)」と4、5箇所も指さす。そうこうしているうちにヤの家に近づき、「あのピンクの家の前でも警官が殺された」という。見るとヤの家の2軒先だ。 帰ってヤにその事件についてきくと、「人がいっぱいだった。ヤは椅子の上に立ってみた。小便を垂れ流す人、はってその場から逃げようとする人。知らない人がヤのうちにも逃げ込んできた」という。そのことをヤとアデは笑いながらいう。(ヤの家のすぐ近くで殺された)警官は車を運転していた。何人も乗った車がやってきて、警官を撃ち、さらに首を掻き切ったという。完全に首が体からはなれてはいなかったけれど。夕方5時くらいで人がたくさんいた。「その警官の死体が片付けられると、また何もなかったかのように屋台でものが売られ、人が買っていた。日常になった」という。ヤが言うには「殺されたのはここの人じゃない。そして殺されたプユットの子もここで殺されたわけではない」ので、プユットでは事件はあまり起こっていないということになる。(2009年3月6日のフィールドノートより) 仏教徒が人口の94%以上を占めるタイにあって、ムスリムは最大のマイノリティであり、彼らの人口は約320万人で、総人口の約5%を占めている。その多くは南タイのマレーシアとの国境近くに住んでいる。2004年1月以降、南タイでは暴力事件が頻発するようになり、殺人、放火、爆弾の犠牲者は現在まで3500人以上を数える。犠牲者には、警察官や軍人、公務員などタイ政府関係者だけではなく、ごく普通の村人も多く含まれ、仏教徒もムスリムも被害にあっている。よって2004年以降の南タイ抗争を近年のグローバルなイスラーム主義運動の影響を受けた国家に対抗するムスリムの分離独立運動であると単純にみなすことはできない。抗争の背景には軍と警察の権力闘争がある、あるいは国家のムスリムに対する非合法の報復行為であるとの噂もあとをたたない。 冒頭の記述は、事件勃発以来訪れていなかった南タイのパタニ県の友人を、2009年3月初旬に久々に訪ねたときにつづったものだ。人々はすでに5年以上続く日常的に起こる暴力的な事件の対処に慣れているようだった。昨日と同じように今日も平穏無事な日が続くという日常的な信念が揺らぐ日々を生きているパタニの人々の現実に触れたときに、つい数年前まではここでも退屈ともいえるほど平穏な日々が当たり前だったことを思う。 誰がいつ殺されるのかわからないという日常の中で、人々はどのようにして生活しているのだろうか。2004年に暴力事件が起こるようになってから、最初の1、2年は、人々は外に出るのも怖くて仕方がなかったという。しかし、やがてこうした状態に慣れていく。慣れていかなくては、精神の緊張に耐えられないだろう。例の警官が殺害された現場にいた別の友人は、目前でおきた事件を職場の同僚に話してきかせたという。同僚が噂していたので、「その話なら私ができる、話をききたいひとはみんなここに集まれ」と手をあげて同僚を呼び集めた。そして話した。「はじめ銃の音なんてきいたことがないからわからず、若者がけんかをしているのかと思った。すると目の前で銃の発射音とともにヒュっと弾が飛んでいく軌道までみえた……」と。時に、一歩間違えば自分たちが被害者になるかもしれない現実を、その状況から少しはなれた立場から話のネタにして楽しむ。 生活においてこうした余裕を保つこと。それはいかにして可能であろうか。ヤの近所の保健所の60歳になるが若々しい女性看護師と話した。すぐ近くの別の保健所で、2人の看護師が突然のり込んできた2人組に撃ち殺されたという。「私たちは何も間違ったことをしていない。だからどのようになろうとそれはアッラー次第だ。怖れてばかりいてもどこにもいけない。心を平静に保たなくてはならない」と彼女はいう。毎日、自分のできることを精一杯やるのみであると、保健所は閉じないが、門を閉めていきなりバイクで乗り付けられないようにするといった自衛策を講じる。それでも何かあったらそれを受けいれるという心境にいたる。インタビュー時に、側にいた友人がいった。「私たちの家はここにある。食べるのもここ。死ぬのもここ。何かあったら墓にいくだけのこと。」パタニの裏路地、親子3代が家の前でくつろぐ。友人の家の近くの路上でバイクに乗った2人の仏教徒が銃殺された(2009年3月7日)現場を確認にきた兵士。心を平静に保つ看護師。心を平静に保つ方法紛争状況にある南タイのムスリムの日常生活西井凉子にしい りょうこ / AA研パタニ(プユット)パタニ県スワヒリ・コーストビクトリア湖タイマレーシアバンコククアラルンプール

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