FIELD PLUS No.4
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8Field+ 2010 07 no.4 とある国の話である。そこでは今も進行中の紛争によって百万人規模のムスリムの難民が国外や国内の事実上の難民キャンプでの生活を余儀なくされている。アメリカの支援を受けた政府側は「テロとの戦い」の名のもとに、ときにムスリム居住区へ無差別に近い攻撃を実施し、戦闘に巻き込まれて死ぬ住民も続出している。さらには難民キャンプでの劣悪な衛生状況によって病死する子供も多い。ムスリムの住民が反政府武装勢力の関係者ではないかと疑われて、何者かに殺害される事件も後を絶たない。国連などによる難民への支援もあるものの、紛争自体が根本的に解決しない限り、真の意味でこの地域の住民が安心して暮らせる日は来ないだろう……。 これはイラクやアフガニスタンの話ではない。ある意味では日本の隣国と呼びうる距離に位置するフィリピンで、現在も進行中の出来事である。フィリピン南部の島ミンダナオでのムスリム反政府武装勢力と政府側の武力衝突、いわゆる「ミンダナオ紛争」(ないし「ミンダナオ内戦」)は、中東における紛争に匹敵する歴史と規模を有するものの、中東での紛争に比してもケタ違いに報道されることが少ない「忘れられた戦争」である。ここでは、日本人にとって馴染みの少ない、この知られざる紛争について簡単に紹介してみたい。 ミンダナオのムスリムは「モロ(Moro)」と呼ばれるが、この語源は、そもそも北アフリカ出身のムスリムへのスペイン側の呼称であった。ミンダナオ紛争の話に戻ると、この紛争の根本的な原因は、宗教紛争というよりは、土地問題を背景としている。まず20世紀前半のアメリカ植民地統治期に、人口密度が高かったフィリピン諸島北部のルソン島やヴィサヤ諸島のキリスト教徒が、相対的に人口密度の低かったミンダナオ島に開拓農民として送り込まれていった。この入植政策によって、結果的にはムスリムの土地が入植者のキリスト教徒に収奪されていった。その結果、ムスリムとキリスト教徒の間での土地争いが頻発するようになり、次第に双方の自警団の小競り合いが拡大し、1970年代に入るとフィリピンからの分離独立を目指すモロの武装勢力と政府との内戦に発展していった。そして現在もMILF(モロ・イスラーム解放戦線)という分離主義組織とフィリピン政府が、一方で和平交渉を模索しつつ、他方では武力衝突を繰り返すという一進一退の状況が続いている。 この紛争で少なくとも15万人以上が命を落とし、国内国外を合わせた難民は200万人近いという推計もある。筆者が2009年にミンダナオの難民キャンプの1つを訪問した際も、そこで避難生活を送る難民のムスリム女性から「自分の住んでいた村には反政府ゲリラなど全くいなかったにも関わらず、無差別的に政府に空爆されて親戚5人が殺された」といった生々しい証言を聞いた。 筆者はここ数年、ミンダナオで現地住民への聞き取り調査などを実施してきた。その結果、分かってきたことは、ミンダナオでは今もMILFへのムスリム住民の支持は強く、武力で圧倒的な優位にある政府軍を相手にしながらも、MILF側の士気は決して衰えていないということだった。この住民の支持の背景には、MILFによる現地住民への社会福祉的活動(難民・貧困層への生業支援、教育支援など)の効果もあるようである。たとえば筆者が訪問したミンダナオのあるマドラサ(イスラーム学校)は、紛争で親を亡くした複数の子供を引き取り、事実上の孤児院の役目を果たしていた。このマドラサの校長先生もMILFの元メンバーで現在も熱心な支持者であった。 もちろん、モロ内部の異なる言語・民族集団相互の微妙な対抗意識など、モロの側が克服すべき課題も少なくない。とくにミンダナオ周辺においては近年、海賊事件や家族・親族集団相互での報復闘争事件も頻発しているが、筆者のフィールドワーク時のデータによると、こうした暴力事件の多くが実は同じムスリム(モロ)同士で発生している傾向が認められる。また政府とMILFの和平交渉を通じた紛争の解決も、2008年8月の交渉決裂などを見ても分かるように、決して簡単ではないことはMILF側も承知している。しかし、こうした苦境もミンダナオのモロの独立自尊の意識を簡単には挫くことはないように思われた。ミンダナオで筆者が会った、あるMILFの関係者の若者は別れ際に筆者にこう語った。 「個人的には(政府との)交渉によって平和が訪れることを望むけど、どうなるのか今後は分からない。これは長い長い闘いだよ。世代から世代へと続く闘いなんだ……」。MILF(モロ・イスラーム解放戦線)の旗。ミンダナオのMILF拠点にて。ミンダナオのマドラサ(イスラーム学校)の学生たち。MILFのゲリラ。ミンダナオのMILF拠点にて。ミンダナオの難民キャンプで見かけた、子供が描いたというグラフィティ。ミンダナオの忘れられた戦争「モロ」の知られざる闘い床呂郁哉ところ いくや / AA研ミンダナオにある国連が設置した難民キャンプ(Evacuation Center)の子供たち。厳しい状況のなかでも子供たちの表情は明るかった。インドネシアフィリピンマニラスラカルタスワヒリ・コーストビクトリア湖ジャワチモールルソン島ミンダナオ島ヴィサヤ諸島スールー諸島

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