5Field+ 2010 01 no.3 東アフリカ海岸地方。スワヒリ・コーストとも呼ばれるこの地域には、ラム、マリンディ、モンバサ、ザンジバルなどといった港町が、インド洋や内陸部との交易ネットワークと密接につながりながら形成されてきた。また、こうした沿岸都市部の住民は、古くからイスラームを受容してきたことが知られている。実際、これらの都市にはいくつものモスクが立ち並び、大勢のムスリムたちが暮らしている。 ところが、沿岸都市部からほんの数キロでも後背地に入って行くと、不思議なことに、景色のなかからイスラーム色は影を潜めることになる。沿岸都市部と後背地におけるイスラームと非イスラームという宗教上のコントラストは、誰の目にも一目瞭然だ。 だが、そんな後背地にあっても、フィールドに腰を据えて見つめていれば、少数派ながらもムスリムたちの暮らしを見出すことができる。その生活世界は、イスラームに対してわたしたちが抱くイメージと比べると、だいぶ風変わりな様相を呈しているのだが。 フィールドワークを通して、わたしが1993年以来お世話になってきたカウマという人々は、後背地に居住する小規模な焼畑農耕民だ。宗教の面では、カウマの全人口に占めるムスリムの割合は、多めに見積もっても10%に満たない。キリスト教徒を自認する人々の方がその何倍もの数にのぼる。キリスト教徒及びムスリム、そのどちらでもない人々に共通するのは祖先崇拝であり、そして人間に死や病をもたらす妖術や憑依霊といった容易には制御しがたい諸力の存在を前提とした世界観である。なかでも憑依霊信仰は、ムスリムの暮らしに深く関わっている。 この地域では、人間に取り憑いて心身の様々な異常をもたらすとされる諸々の精霊は、ペポ(またはニャマ)と呼ばれている。異常の原因として憑依霊の仕業が疑われた場合には、「憑依霊の踊り」と呼ばれる治療目的の儀礼が執り行われることになる。 霊は、沼、ブッシュ、バオバブ、洞窟、学校、モスク、海などに棲んでいて、近くを通りかかった人に取り憑くと言われる。これらアラブ人の霊からイタリア人の霊へ?ケニア海岸地方後背地におけるムスリムの生活世界菊地滋夫きくち しげお / 明星大学、AA研共同研究員のうち、モスクや海に棲む霊によって憑依された人は、イスラーム的生活規範に従うよう要求される。カウマにおけるムスリムの大半は、実はこのような経験を通してイスラームに改宗した人々であり、多くは女性である。もっとも、このような人々を「ムスリム」と呼ぶべきかどうかについては、現地の人々の間でも意見は分かれるのだが。 ところで、治療のための儀礼では、たとえば患者に取り憑いている、カウマ語でいうシンバ、つまりライオンの霊が呼び出されれば、その人はライオンとして振る舞うことになる。それこそライオンのごとく吠えたり、飛び掛かったり、といった具合に。あるいはムアラブ、つまりアラブ人の霊にも取り憑かれていて、シンバに続いてそれが呼び出されれば、彼女/彼はまさにもはやカウマ民族ではなく、アラブ人のムスリムとして振る舞うことになる。両手でクルアーン(コーラン)を持つような身振りをしつつ、「アッラー・アクバル」などと唱えながら。 だが、儀礼の進行とともに夜が更ける頃には、彼女/彼はイタリア人として振る舞うかもしれない。近年この地方では、ムイタリア(イタリア人)という霊がいると噂されているのだ。イタリア人の霊の登場は、1970年代以降、インド洋に面したマリンディやワタムなどといったリゾート地にイタリア人のコミュニティが築かれるようになったことや、イタリア人旅行者の増加といった現象とも無関係ではないだろう。 後背地から望む沿岸地方は、長らくアラブ人などのイスラーム教徒と結びつけられる形でイメージされてきたし、今でもそのイメージは健在である。しかし、上述のように最近では沿岸地方へのイタリア人の進出に関連して、「彼らはマフィアとつながっているのさ」などと言う人が少なくないのも確かである。後背地の人々から見て、彼らの隣人たる沿岸部の人々のイメージは、ひょっとするとアラブ人からイタリア人へと変わりつつあるのかもしれない。 だとすれば、後背地に暮らすムスリムの生活世界は、これからどのように変容しようとしているのだろうか。それとも案外変わりはしないのだろうか。想像力の乏しいわたしは、ただ静かに見つめるほかないようだ。カウマの伝統家屋。トウモロコシを収穫する母と娘。「憑依霊の踊り」(治療儀礼)に集まった女性たちと呪医。母と娘(娘は憑依霊の要求に応えてイスラーム的生活規範に従っている)。ケニアナイロビモンバサスワヒリ・コーストビクトリア湖ケニア
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