4Field+ 2010 01 no.34 一昨年の夏、フィールドで私は、ある光景を目にして考え込んだ。若者が、治病を願いに聖者廟に参詣する母に向かい、「唯一神の教えに反する」と言ってなじり、そこに出くわした父親が怒って息子の方を厳しく叱ったのである。父親は私の20年来の友人だ。 場所は、エジプトのアレクサンドリアから西に延びる地中海岸の小村で、一帯の住民の多くは、ヒツジ、ヤギ、ラクダ、ウマを飼育し、テントを住み処に移動する遊牧を、代々のなりわいとしてきた。一般にベドウィンとして知られるそれらの人々の間で私は、1980年代末に長期調査を実施し、その後も折に触れ立ち戻っては滞在を繰り返している。 そもそも遊牧は、今も昔もあまり国から好かれない生業である。とりわけ、税金を納めたり兵役に就いたり学校に通ったりすることが国民に求められ、そのために戸籍や住民票といった、国民を登録する仕組みが大々的に動き始めると、国は強力に定住化を進めようとする。この働きかけに抗しきれずに、あるいはまた定住生活がもたらす利便に惹かれて、昔ながらの生業を捨て去ったベドウィンは数多い。私の調査地でも20世紀の後半に急速に定住化が進行し、今ではほぼ完了している。 生業が変わり住居が変わり、彼らの生活の変容は著しい。現代のベドウィンたちはテントの代わりに石造りの平屋に住み、ラクダやウマを自動車に替え、養鶏や牧牛に挑戦し、スイカやイチジク、オリーブを栽培するなどして生計を立てている。商売や運送業に精を出す者もいるし、なかには政府の事業や民間企業に投資して、たいそうな羽振りの者もいる。若者の多くは学校に通い、年配者でも少しは字が読める人の方が多い。 そうした現代のベドウィンたちを相手にして、いきおい私の調査の主題は、近代における彼らの暮らしの変容に絞られてきた。彼らが今考えていること、やっていることを、彼ら自身の昔語りや旅行者と役人の残した記録と照合しながら、暮らしの変化をくっきりと浮き彫りにしてくれる題材を求めて回った。 見つけた題材は部族意識、住まい、伝統的歌謡、婚礼と葬礼など様々で、聖者信仰も重要な調査事項だった。冒頭に触れた発言などは、今時のベドウィンの若者が口にする台詞としては典型的で、若い世代の間遊牧をやめた遊牧民たちエジプト西部砂漠のベドウィンと20年間つきあうこと赤堀雅幸あかほり まさゆき / 上智大学、AA研共同研究員に学校教育を通して教科書的なイスラーム理解が浸透し、聖者信仰に力点をおいた信仰伝統が衰えつつあることの現れとみえる。実際、1994年に書いた論文では、私は堂々とそう書いた。 ところが、15年後に冒頭の場面を目にして私が少なからず考え込まざるをえなかったのは、若者を殴った当の父親が、20年前に息子と全く同じ主張をして妻をそしったことを、私が覚えていたからである。「言え、そはアッラー、唯一なる御方」とクルアーン(コーラン)の章句を唱えてみせて、子授けを願って聖者廟に通うとは何事かと、20代後半だった父親は、めとったばかりの若妻を難詰したものだった。 現象学者なら「生活世界(Lebenswelt)の植民地化に抗する二重意識の形成」などとむずかしく説明しそうだが、この変節が何なのか、フィールドの現場ではいろいろと訊ねても、結局のところはわからない。何せ本人も息子の発言の何が気に障ったかうまく説明できない上に、昔、自分が何を言ったかもまるきり覚えてはいないのだ。結局のところ、私ばかりがこの件にこだわり、周りからは相変わらず日本人は変なことばかり気にすると笑われ、話はそれきりになってしまった。しかし、私にしてみれば、20年前の出来事の記憶がなければ、冒頭の事件を、以前に書いた論文の内容を単純に補強してくれる材料と受け止めていたかもしれず、人様の生活世界とその変容を描こうとする試みの危うさにひやりとせざるをえない。 ベドウィンたちの生活に大きな変化があって、しかもそれが現在進行形であるのは事実だが、変化は遠い昔と今現在とを、二つの離れた時点としておいたときだけはっきりみえ、現に今目にしている風景から、ベドウィンの生活世界が一変したことを実感するのはひどくむずかしい。生活はいつも、変わったのだか変わっていないのだか、何とも煮え切らない様子で続いていく。それを、だからこその生活世界であると言うべきなのか、それとも長いつきあいのなかで、自分が彼らの生活世界に組み込まれすぎていると考えるべきなのか、それさえもが悩ましいのが、私にとってもっともつきあいの長いこのフィールドである。会合に集まったベドウィンの顔役たち。婚礼や部族の会合は、今でもテントで行われる。駄獣としてのラクダは無用になりつつある。子ラクダが生まれる2月のころに撮影。かなり寒い。ラクダは基本的に放し飼い。収穫したスイカを見せてくれるベドウィンの少年。スイカ、イチジク、オリーブはベドウィンが栽培する代表的作物。境界のはっきりした畑は作っておらず、家の近くに適当に植えている。夏になると住居の脇にテントを立て、そこで食事したり、農作業をしたりする。ベドウィンの定住家屋。平屋で右側は客間への入り口、勝手口は裏にある。ベドウィンの村にある聖者の墓。アテネカイロ地中海エジプト紅海アレクサンドリアエルサレム
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