FIELD PLUS No.3
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28Field+ 2010 01 no.3大塚和夫先生の著作とわたし大塚和夫先生は6冊の単著を残された。最初の3冊はわれわれ研究者に知的刺激を与えてくれるような学術書であり、残りの3冊は一般読者に向けた著作で、より多くの読者を獲得した。イスラーム研究、そしてなにより人類学界の「広告塔」として、わかりやすいことばで外部に発信しつづけていた大塚先生。まるでそれをみずからに課された使命であるかのように、新聞記事やインタビュー記事を積極的にこなす一方、晩年はこうも述べていた。「いつか落ち着いたら、スーダンの親族についてきちんとした論文を書きたい」と。長いこと先生が書きたくてもかなわなかった、民族誌的データがたっぷりつまった人類学の論文。それを読むことはもうできないのが残念だ。先生の単著については、いずれもすでにさまざまな媒体でとりあげられているので、改めてここでくわしい内容紹介をすることはさける。そのかわりに、教え子2人が先生との想い出とともにいくつかの著作をふりかえってみたい。 大塚先生の代表作といえば、なんといっても『異文化としてのイスラーム』ではないだろうか。誰しも自分の研究生活の最初の節目にそれまでの集大成として上梓する本(それはおうおうにして人生ではじめての単著となる)には思い入れがあるだろう。事実、数ある受賞歴のなかでも、本書によって受賞したアジア・太平洋賞特別賞を、「一番うれしかった」と先生がおっしゃっていたのを耳にしたことがある。そしてこの本は、わたしにとっても特別な1冊である。学部時代、人類学もイスラーム研究も学んでいなかったわたしが大学院入試に向けてはじめて手にとった研究書がこの本だった。そして大塚先生に師事することを(勝手に)決めた。中東人類学をめざす当時の学生にとって本書はバイブル(イスラーム研究で「バイブル」は相応しい言葉ではないかもしれないが)のようなものだったと思う。わたしが研究職をめざしはじめた90年代半ば、本書は新本はもとより、古本屋にもなかなか出回っていなかった(まだインターネットで簡単に古書を探せる時代ではなかった)。のちに古本屋で入手するまでわたしはコピーしたものを読み込んでいたのだが、それを知っていた先生は、2003年にオンデマンド版が出版されたときに、わたしに一部くださったのだった。 本書は80年代半ばに発表された論考を中心に編まれている。刊行から四半世紀が経ち、自分が中東人類学を大学で教える身になった現在も頻繁に参照する本であり、学生にも推薦図書として紹介している。日本におけるイスラームの人類学なるものを開拓した本書であるが、考察の主たる対象はイスラームの宗教的な教えや実践というよりは、イスラームを信仰する人びと(ムスリム)の社会や文化である。アラブ・ムスリムに関する個別事例の分析もさることながら、異文化理解、文化の翻訳といった問題がていねいに論じられている。文化を翻訳し、そして書くという行為に神経質なまでに慎重であった大塚先生。異文化を書くことに対しある種のきまずさを感じつつも、異文化理解としての人類学の可能性を確信していた先生の姿勢に刺激を受けたのはわたしだけではないだろう。この本から「おれは社会人類学者だ!」という声が伝わってくるようである。 本著が刊行された1980年代、日本におけるイスラームの人類学的研究は未開拓な領域であった。先生はあとがきで「この本ははたしてそのようなテラ・インコグニタ探索のための、初歩的ガイドブックの役割を果たしえているのだろうか」と問うている。わたしはこう答えたい。「はい、イスラームの人類学研究をめざす多くの学生がこの本を手に取り、多くを学びました」と。              (大川真由子) 「オマエさんは、フィールドワークはたいしたことないが、『ものをどっちの方向からみたら何が言えるか』、そういう議論はできる人間だと思ってる」、というようなことを大塚先生から二度言われたことがある。「そういう意味では、自分と似たところがあるんだよ」とも。一度目は最初に始めたテーマの調査に失敗したときで、二度目は、次に始めたテーマ大川真由子 おおかわ まゆこ/日本学術振興会特別研究員(上智大学)、AA研共同研究員池田昭光 いけだ あきみつ/東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程、元AA研中東研究日本センター協力研究員異文化としてのイスラーム――社会人類学的視点から同文舘、1989年イスラーム的――世界化時代の中で日本放送出版協会、2000年2005年、大塚先生が都立大を去られる年、秩父でおこなわれた社会人類学研究室の追い出しコンパ合宿。先生による朱入れ原稿。投稿前の論文によく目を通していただいた。上下左右の余白にびっしり、鉛筆でのはしり書きが基本。引っ越し作業後、研究室内を眺める先生と真新しい表札。2005年3月29日、都立大からAA研への引っ越し作業。膨大な書籍と格闘。

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