FIELD PLUS No.3
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25Field+ 2010 01 no.3だという苦言を呈された。そののち何年かして、私がAA研に入ってからは改めて、先生はフィールドの重要さをしばしば言及なさった。 ここに寄稿してくださった笠原政治、小田亮、棚橋訓、野家啓一諸氏は、大塚先生とさまざまな形でかかわられてきた。それぞれの先生方が大塚和夫という社会人類学者との関係性に由来する貴重なエピソード、人となり、学問について語ってくださった。また、最後まで大塚先生から教えをうけた大川真由子、池田昭光のお二人に、それぞれの思い出とともに主要著作をご紹介いただいた。(椎野若菜・AA研)大塚和夫さんのこと——王道は誰かが行かないと小田 亮 おだ まこと/成城大学、AA研共同研究員 個人的な関係から書き始めることを許していただきたい。大塚和夫さんは私の5歳上の先輩で、私が大学院生だった頃には、すでに注目すべき若手の人類学者として有名だった。いつから親しく話すようになったか、よく覚えていないけれども、そのはじめの頃から、偉大な先輩である大塚さんに対して、私は、生意気でひねくれた後輩として、よくからかったり悪態をついたりしていたような気がする。 大塚さんが1992年に大阪の国立民族学博物館から母校の東京都立大学に戻った3年後に、私も大阪の大学から東京の成城大学に移った。それ以降は、国立民族学博物館の上司だった伊藤幹治先生とのご縁で成城大学の非常勤に長い間来てくれ、学会の理事会で一緒だったりして、定期的に会うことになり、一緒に飲むという機会も多かった。 その間、大塚さんは、どんどん忙しくどんどん偉くなっていった。日本民族学会会長として日本文化人類学会への改称問題を解決したかと思えば、東京都立大学の解体という問題に立ち向かい、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所に移ってまもなく所長となり、研究所の改革に当たるというように、研究機関に浸透してきた「オーディット文化」(自己点検・自己評価による改善計画・報告や説明責任の規範化)に忙殺されていった。 大塚さんが亡くなってまもなく、関根康正さんは、ある研究会発表の冒頭で、大塚さんに哀悼の意を表すとともに、「彼はネオリベラリズムに殺された」という旨の発言をされた。たしかに、その死がネオリベラリズムに結びついたオーディット文化と無縁とは言えないだろう。 しかし、大塚さんは、オーディット文化に素直に従っていたわけではない。大塚さんはよく、「好きでやっていると思うか」と言っていたけれども、持ち前のバランス感覚を発揮して、アラブ・イスラーム研究の若手の研究者たちや自分が育てた研究者たちがそれでもなるべく研究しやすい環境を整備することに腐心していたようにみえた。大塚さんの強い責任感は、職務に対する忠実さというより、人に対する誠実さとして現われていた。 それと同時に、大塚さんは、都立大学の解体やオーディット文化を批判しつつも、「外部からの要求に対して何もせずに、ただ反対だと言っていても、誰も聞いてくれないんだから意味がない」とも言っていた。たとえ理不尽な要求でも、それをこなして実績をあげながら発言権を増していくという、大塚さんらしい「王道」ともいうべきやり方だったように思う。「研究する時間が本当にない」と嘆きながらだったけれども。 大塚さんが、性格にあっているわけでもなく好きでやっているわけでもないのに、「偉大なマスター」となっていくのを傍らで見ていた私は、偉大なマスターをからかうトリックスターの役目をつづけていた。「大塚さん、すっかり地域研究者になっちゃったけど、いつ人類学にもどるの」とか、「大塚さんの書くものはどんどん穏当なものになっていくよね」とか。でも、大塚さんの遺した文章は、まぎれもなく社会人類学者の書いたものだった。地域研究に身を投じながら、その中で大塚さんは他分野の研究者に対して、人類学を代表して、人類学者ならこう考えると発言していた。また、近年に新聞に掲載された文章やインタヴュー記事などを読みなおすと、社会(文化)人類学という学問を代表して外部に発言するという気概を感じる。大塚さんはよく、「他分野の連中と張り合うことのできる人類学でなければ存在価値がない」と言っていた。これまた、「王道」だろう。 そのような王道を歩んでくれる大塚さんがいたからこそ、私のような人類学者は、人類学を代表するという責任も負わずに、非王道を気楽に歩んでいられた。王がいなくなればトリックスターもお役御免となるが、もちろん、私には、「人類学という学問を代表して外部に発言する」ことなどできない。私を含めて、日本の人類学者たちが、大塚さんという存在の喪失を痛感するのはこれからなのだろう。大塚和夫先生は、キャンパスの小型ノートをフィールドノートにしていた。2001年8月4日から15日のケニアでのフィールドワークから。大塚和夫略歴1949年北海道生まれ。博士(社会人類学)。東京都立大学人文学部卒、同大学院社会科学研究科社会人類学専攻博士課程単位修得退学。2年間のサウジアラビア留学後、エジプト、北スーダンでのフィールドワークを実施。国立民族学博物館、東京都立大学を経て2005年より東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授、翌年、同研究所所長。日本におけるイスラームの人類学を開拓した。『異文化としてのイスラーム』で第21回澁澤賞および第2回アジア・太平洋賞特別賞、『近代・イスラームの人類学』で発展途上国研究奨励賞、共編著『岩波イスラーム辞典』で第56回毎日出版文化賞を受賞。2008年には紫綬褒章を受章した。

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