FIELD PLUS No.3
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12Field+ 2010 01 no.3 フィールドワークにおいて「聞く」ことはあまりに当たり前であるように思われます。 フィールドで流れる音楽を「聞く」、人の話している声を「聞く」、虫や鳥や動物の声を「聞く」。どの「聞く」も、 聴覚器官を通して自然に音が耳に入ってくる受動的な行為であるかのように思われがちです。 しかし、こうした自明性を超えて、「聞く」ことに研ぎ澄ました感覚で焦点をあてると、そこには通常考えられる耳を通した聴覚世界を超えた思わぬ広がりをもった世界が見えてきます。 今回の特集では、動物音響学、言語学、人類学という三分野の研究者に、「音」にアプローチするフィールドワークの現場から、「聞く」ことのむこうに広がる世界について報告していただきます。 イルカが海の中で出す音をもとめて世界のあちこちの海をフィールドとする動物音響学からは、イルカが聴覚でモノを「見て」いることが報告されます。またイルカにも方言差があって、雑音の多い海では、低く大きな音を出すし、雑音の少ない場所で休息するのだといいます。イルカにとって「聞く」ことと「見る」ことの区別は、人間のように自明なものではないとわかります。 さらに、音の研究は「見せる」ために、音を波形データに変換する必要があります。じつは、この変換は、音の研究では、調査と研究の間で必要な作業となります。それは、未知の言語を研究する言語学にも共通することです。 言語学は、「聞く」ことが第一の仕事であると思いがちですが、じつは「聞く」ことは、言語調査の第一歩にすぎません。自分の耳で「聞く」ことの次にくるのは、自分の口で再生することです。その再生が正しいことを現地の人に確認してもらうと、最後には発音を記録するという手順になります。このとき、発音の記録の「聞く」を「見る」というデータに変換することで、調査者が耳で聞きとった発音を、「聞き違い」ではなく、確かなものとして提示することができるのです。言語学においては、フィールドワークは「聞く」ことからはじまり、発声し、音を内省し、最後には「見せる」過程へと、展開されているのです。 人類学では人の話を「聞く」ことが中心的な調査方法の一つですが、ここではフィールドとした社会における人の話を「聞かない」関係のあり方が示されます。不特定多数にむかって大声でよびかける発話形式である「ボナンゴ」は、それを聞き流す技術を身につけていない調査者には、脅迫的な「音」として迫ります。こうしたコミュニケーションは、ちょうどインターネットのブログと構造的には同じであるといいますが、違いはその場にいればいやでも耳に入ってくるという受動的な聴覚器官、つまり身体として人間が存在するがゆえのかかわり方であるといえるかもしれません。 三者三様の報告から、「聞く」ことがさまざまなかかわりの中で、変換され、「見られ」、新たな世界の発見につながるということを、フィールドワークの現場から感じていただけるのではないかと思います。〈西井凉子 記〉テーマ:「聞く」フィールドワークって何? テーマ:「聞く」

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