FIELD PLUS No.3
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11Field+ 2010 01 no.311イスラーム化プログラム1998年4月に調査村で実施されたイスラーム化プログラムの様子。マレー伝統首長、政府役人、イスラーム団体などが参加した。村の結婚式本文中に登場する「村の老人」の孫の結婚式。彼女の兄や妹はそれぞれイスラームへ改宗し、ムスリムと結婚した。オラン・アスリ女性から説明を受けるマハティール首相(当時)2003年2月に開催された伝統工芸品の展示会で、オラン・アスリの伝統工芸品について説明を受けている。イスラーム化の時代を生きるマレーシア先住民の生活世界信田敏宏のぶた としひろ / 国立民族学博物館、AA研共同研究員 私のフィールドは、イスラームを国教とする東南アジアの国、マレーシアである。当然ながら、この国ではイスラームは他の宗教より優遇されている。巨大な国立モスクだけでなく村の小さなモスクも政府の補助金を得て建てられているし、ムスリムの宗教活動にも様々な補助金が付いている。だからといって、キリスト教やヒンドゥー教、仏教などの信仰が認められていないわけではない。信教の自由は憲法で保証されているのである。 調査対象としているのは、マレー半島に暮らす先住民オラン・アスリである。人口は、約15万人。マレーシアの全人口の1%にも満たないマイノリティである。彼らは、狩猟採集民、あるいは焼畑耕作民として、熱帯の森に暮らし、自然と共に生きてきた。彼らの中には、森の精霊やオバケの存在を本気で信じる人たちや、祖先崇拝をしている人たちがいる。しかし、そうした彼らの信仰形態は、あくまで「信仰」であって、「宗教」とは認められていない。 1980年代初め、そんな彼らにイスラーム化の波が押し寄せた。オラン・アスリは、宗教を持たない民と見なされ、イスラームへ改宗してムスリムになってもらおうとマレーシア政府が考えはじめたのである。これには、1970年代からの世界的なイスラーム復興運動の影響で、政府がイスラーム化政策を進めていったことが関係していた。また、オラン・アスリに対してキリスト教の宣教活動が盛んに行なわれはじめたことに、政府が警戒心を抱いたことも背景としてあった。こうして、イスラーム復興運動やキリスト教への対抗意識から、オラン・アスリに対するイスラーム宣教が計画された。イスラーム宣教プログラムに予算が付き、オラン・アスリの村々に「宣教師」が派遣され、いくつかの州で実際にイスラーム宣教活動が実施されたのである。 私の調査地、ヌグリ・スンビラン州にあるオラン・アスリの村でイスラームへ改宗する人びとが出てきたのは1996年くらいからである。オラン・アスリ社会全体でも1990年代以降、ムスリムの人口が増えはじめた。イスラーム化政策が開始されてから10年ほど経って、ようやくその効果が表れはじめたと言える。 1998年当時、このままの速度でムスリムが増えると、おそらく、それほど遠くない将来、すべてのオラン・アスリがイスラームへ改宗するであろうと、私を含め村の誰しもが考えていた。ところが、それから10年経ってみると、予想されたようなスピードでムスリムが増えることはなかった。最近のフィールド調査では、キリスト教へ改宗した村びとの話を聞くことが多いくらいである。 この10年、マレーシアでは何が起きたのであろうか。イスラーム化政策を積極的に推進したとされるアンワル副首相は1998年9月に失脚。その後、逮捕・告訴・釈放を経て、今では野党側のリーダーとして精力的に政治活動を行なっている。長らく続いたマハティール政権は2003年10月に幕を閉じた。だが、その後継者たちの政治基盤は脆く、最近では政情不安が伝えられている。9.11同時多発テロ事件以降、マレーシアでも、イスラーム過激派は取り締まりの対象となり、逮捕者も出ている。その一方で、キリスト教宣教活動が都市や農村部で活発化している。これらの出来事が、オラン・アスリのイスラーム化の動きに影響を与えてきたことは確かであろう。 こうした状況の中、イスラームにもキリスト教にも改宗することなく生きてきた村のある老人は、国内外の宗教をめぐる複雑な状況を憂うとともに、宗教の必要性について以下のような話をしてくれた。 「宗教をめぐって、国内外では政治的な問題が生じている。一方、村では改宗をめぐって親族や家族に争いが生じている。宗教は人を幸せにするはずなのに、現実はどうもその逆だ。自分には宗教は必要ではないと考えてこれまで生きてきたが、村にやってくるイスラーム宣教師やキリスト教宣教師は宗教の必要性を説いている。彼らがそこまで言うのだから、やはり人が生きていくには宗教が必要なのだろう。でも本当にそうなのか? お前はどう思う?」この根源的な問いに当時の私は返答に困り、そして未だに答えが見つかっていない。バンコクマレーシアシンガポールジャカルタクアラ・ルンプールヌグリ・スンビラン州調査地

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