9Field+ 2010 01 no.3 「“外国人は近づかない方がいいですよ”といわれるところへ行くべし」これが初めてのフィールドでシーア派イスラームの哀悼行事を観察に行くときの鉄則だ。2003年のパキスタンでは、現地の日本人会に配布された「危険情報マップ」で行進の道筋がわかったし、2004年初めて訪れたバハレーン(バーレーン)でもそうだった。チェックインしたアメリカ系ホテルのレセプションデスクで、「今日は現地の人たちが宗教行事をしているそうだけど」と尋ねると、「そう、バーブ・ル=バハレーン(バハレーン門)の奥のところは人混みが大変だからやめた方がいいでしょう」との言。黒ずくめの服装&黒スカーフに着替えた私の姿にレセプションデスクのお兄さんたちは笑いをこらえられない様子だったが、それを尻目にバーブ・ル=バハレーンへまっしぐら、門の奥へと続く通りをたどってゆくと、やっぱり! 聞こえてきたのは哀悼詩を朗詠するメロディーだった。 シーア派哀悼行事が外国人には危険だと思われがちなのは、そこで信徒たちが派手に慟哭し、身体を叩いたり傷つけたりするから。確かに異様な雰囲気といえなくはないが、「こういう行事なのだ」と知って興味深く観察している私には、むしろ“哀悼”とよぶのが適切かどうか考えることもあるほど。横断幕やポスターで飾られた通りを、カラフルな旗を掲げ、飾られた馬を牽いたり楽隊を伴ったりした隊列がパレード、飲み物や食べ物が街頭のあちこちで振舞われ、結構なお祭り気分が楽しめるのである。 イスラーム暦の第1月(ムハッラム月)10日の哀悼行事は、シーア派ムスリムにとって最も重要な行事といっても過言ではないだろう。イスラーム暦61年(西暦680年)のこの日にシーア派で正統とする指導者(イマーム)の第3代目であるフサインが一族郎党とともにカルバラー(現イラク領)で惨殺された。シーア派は、彼が正義を貫いたがゆえに殉教したととらえ、イマームのために泣く者は、幸せな来世を迎えられるという。そこで、カルバラーの出来事を再現前し、哀悼の意を大々的に示すのだ。ムハッラム月の哀悼行事はまた同時に、シーア派の世界観を提示して不条理の世を生きるためのコミュニティの絆を確バハレーンのシーア派哀悼行事山岸智子やまぎし ともこ / 明治大学、AA研共同研究員認し強化する機会でもある。その意味では、シーア派コミュニティの日常世界の基盤は、哀悼行事で築かれていると理解することもできるだろう。 シーア派が国民の大多数であるイランの地域研究の重要なトピックとして私はカルバラーの出来事を描いたテクストを研究し、タァズィエとよばれる殉教劇を追いかけてきた。2004年はちょうどムハッラム月が春休みにあたり、その時期に湾岸諸国を訪問する機会ができたことから、シーア派住民が多数派であるバハレーンに立ち寄ってみようと思いついた。日本人には入国ヴィザの必要もない。 バハレーンの首都マナーマでは、街角のあちこちにイラン、イラク、レバノンのイスラーム法学者たちの写真やポスターが掲示され、アラビア語(バハレーンの国語)とペルシア語のバイリンガルが多い。さらにはウルドゥー語の哀悼詩にあわせてパフォーマンスをする隊列も順を追って登場し、いわばマルチ=ナショナルな哀悼行事が展開している。外国人がビデオ撮影しても神経質な反応がない。哀悼行事に関連する文言や絵をプリントしたTシャツもよく売れている。是非また来ようと思った。その後日本で紹介されたバハレーン人留学生の家族にサポートをお願いし、2008年に科学研究費補助金で調査の機会を得た。 おかげで女性たちの熱い視線を浴びているカルバラー生まれでイラン育ちクウェート在住の朗誦師や哀悼行進の組織者にインタビューが可能となった。Tシャツを卸売りしているインド系商人は、売れそうな絵柄をファックスで実家のあるムンバイに送ってプリントさせていると教えてくれた。さらに中国人やマレーシア人も哀悼行事のための装飾品などの市場に食い込もうとしている様子。歴史的に海洋交易の拠点であったバハレーンでは、現代の人的移動や消耗品の文化が哀悼行事に刻印されているとみた。 イランの哀悼行事には “ナショナル”なコンテクストを読み取ることが多かったが、バハレーンというフィールドと出会うことによって、“グローバル化”というコンテクストで哀悼行事を分析できる新しい可能性がひらけた。その幸運に私は感謝している。イマームの聖廟やカルバラーの悲劇の場面のポスター、法学者たちの写真が貼られている。上半身を裸形で力いっぱい叩くウルドゥー語の(インド・パキスタン系)グループ。バーセム・カルバラーイーの哀悼詩朗誦を熱心に聴く女たちの集会。子どもたちにも、イマームの子どもたちの扮装をさせる。アテネカイロバグダードテヘランバハレーンイラン地中海紅海ペルシャ湾エルサレム20kmバハレーンマナーマサウジアラビアカタル
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