[発売][発行]東京外国語大学出版会東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所. 202301no29 : 定価本体455円+税 電話042-330-5559 FAX042-330-5199〒183-8534東京都府中市朝日町3-11-1 電話042-330-5600 FAX042-330-5610フィールドプラス仏教を信仰する国であると同時に、現存する社会主義国家の1つでもあります。1975年にベトナム戦争が終結するとまもなく、ラオスでも社会主義政党の一党支配体制が成立し、現在まで続いています。しかし、たとえば文革期の中国やクメールルージュ支配下のカンボジアのような宗教弾圧は、ラオスでは見られませんでした。その背景は複雑ですが、要するにラオスでは、宗教を忌避する社会主義のイデオロギーよりも、上座部仏教を篤く信仰する市井の人々の存在が重視されたのです。 そもそも私がシームアン寺院に通うきっかけを作ったのは、友人のK氏でした。ここは願掛けの寺としても全国的に有名で、私の博士論文が遅々として進まないのを心配したK氏が一緒にお参りに行ってくれたのが、そのはじまりでした。それからというもの何かにかこつけてこの古寺を訪れては、すぐ近所にあるK氏の実家でお母さんが作る竹の子スープをご馳走になるのが、私たちの定番となりました。史料室に籠ってばかりの歴史研究者にとって、K氏やその家族とのひと時は、信仰と日常が分かちがたく結びついた人々の実際の暮らしに触れる格好の機会でした。 ラオスの現代史は、劇的な変化が少なく地味かもしれません。しかし、たとえば近隣の社会主義諸国がたどった悲劇を思い起こすと、その歴史の貴重さに気づかされます。そして史料を紐解けば、それが決して偶然のものではなく、ラオスの人々によって選択されたものであることがわかってきます。ラオスの「静かな歴史」の背後にある、人々の思いを明らかにしたい。コロナ禍で現地から遠ざかる日々が続くなかでも、シームアン寺院と竹の子スープの思い出は、私に研究者としての出発点を思い出させてくれました。 *写真はすべて筆者撮影。シームアン寺院の本堂。2016年撮影。境内に設置された投票所。2016年撮影。 数年前、村上春樹さんが『ラオスにいったい何があるというんですか?』という紀行文集を発表しました。村上さんはトランジット先のハノイで出会った人にそう不思議がられながら、ラオスの古都ルアンパなんば せいたろう / 日本貿易振興機構アジア経済研究所バーンへ向かいます。そこで彼は上座部仏教の信仰が深く根付いた現地の暮らしを目の当たりにし、深い感銘を受けます。 私の専門はラオスの現代史です。特に20世紀半ばのベトナム戦争前後の時代に、ベトナムの隣国であるラオスで何が起きていたのかを研究してきました。そんな私も似通った質問をされることがあります。「ラオスの歴史にいったい何があるというのですか?」つまりこういうことです。「ベトナム戦争の研究ならわかるけど、何でまたラオスなんですか?」そんな率直な問いかけに触れたときに私が思い出すのが、ラオスの首都ビエンチャンの中心部にあるシームアン寺院です。 シームアン寺院は全国でも有数の古寺として知られています。その創建は14世紀にルアンパバーンで勃興したランサーン王国が、都をビエンチャンへ移した16世紀半ばにまで■ります。その後ランサーン王国は18世紀に滅びますが、シームアン寺院は現在に至るまでビエンチャンの人々にとって身近な場所であり続けており、たとえば年間を通じて多くの宗教行事が行われるほか、5年に1度の選挙では投票所としても使われます。 実はラオスは、国民の半数以上が上座部K氏のお母さんお手製の竹の子スープ。ラオスの古寺・シームアン寺院ラオスの歴史に何があるというのですか?南波聖太郎フィールドワーカーの
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