フィールドプラス no.29
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MOLDMOLD因が絡み、一つのことが出来上がっているということを何か形として表現したかったのだと思う。 少し話は変わるが、アジアの形をめぐるエッセイや論文を集めた『アジアの形を読む』という文化誌の序文で、すでに鬼籍に入られた数学者の森毅先生が「人と人とのネットワークの中をただよっているのが自分であって、それ以外に自分はない」と語っておられた。人間と人間の間にはもともと■間があり、それを埋めるためにしかたなしに言葉のカビを生やしていると。勝手ながら、自分が感じていたことを代弁していただいたような気持ちになってしまった。自分がどうしてカビを作品に用いたのか、うまく言葉にまとめることができなかったが、森先生のこの何気ない話にとても救われた思いだった。原点を忘れそうになった時、いつもこの文章を読んで帰っていくようにしている。 27学校の裏山で実験中。様々な食材を使って教室の壁で実験。左から白米、紫芋のホイップ、ケチャップ、味■、白米とジュースを混ぜたもの(紫や赤などの派手な色は食材の着色によるもの)。石膏を開けると腐海の森が広がる!ゼミ生のみんなが食べこぼした前掛けを裏山に干しに行き、カビの胞子を付着させる。卒業制作の展示はカビを拡大した画像を下に敷き詰めモザイク画のように配置し、展示の最中にもカビが育つ様子が見られるようにした。の中で保管した。食べこぼしでは実験したことがなかったため上手くカビが生えるのかはらはらと待っていたが、私の心配をよそにカビたちは元気にむくむくと成長し、見事に前掛けに模様をどんどん描いていった。これが私の卒業制作となった。原点にあるもの 普段は敬遠されがちなカビを扱うことによって、奇を衒った作品を作りたかったわけではない。自分が意識していないところで違う生物の営みがあり、それがある時にふっと目視できる形で突然現れたことが自分の中で印象に残り、作品として落とし込めないか考えたのが始まりだった。もちろんカビの胞子は人体にとって過剰に摂取すると害になることがあるし、変化し続ける作品としては面白い面もあるが永続的に保存するのは難しい。自分が作品を作っているようで実際には様々な要

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