フィールドプラス no.29
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私のフィールドワークホニアラガダルカナル島北岸部23マライタ島ガダルカナル島パプアニューギニアオーストラリア個人が用益権を持っているサツマイモやキャッサバの畑(2010年2月)。ソロモン諸島フィールドワークを通じて「平和」について考える ソロモン諸島ガダルカナル島。日本人には、太平洋戦争のときに日米が衝突した激戦地としてよく知られている。この小さな島でのフィールドワークを通して、私は「平和」について考えてきた。 「ソロモン諸島」あるいは「ガダルカナル島」の名前は、太平洋戦争との関わりで知られている程度かもしれない。しかし、戦後約80年が経った現在でも、ソロモン諸島には戦没者の慰霊や遺骨収集を目的とする日本人がかなりの頻度で訪れており、現在の日本人にとっても意外と身近な国の一つである。 このように述べると、日本人研究者である私が、かつての戦争の舞台となったソロモン諸島ガダルカナル島で平和の研究をしているということは、太平洋戦争に関する歴史研究を行なっているように受け取られるかもしれない。しかし、私が研究対象としてきたのは太平洋戦争ではなく、その約半世紀後に起こったソロモン諸島の人びと同士の紛争である。ソロモン諸島の「エスニック・テンション」 ソロモン諸島は1998年から2003年にかけて「エスニック・テンション」と呼ばれる紛争を経験した。「エスニック」(民族の)と形容されているが、いわゆる民族集団間の紛争と理解すべきではない。なぜなら、実際にはソロモン諸島を構成する2つの島(ガダルカナル島とマライタ島)のそれぞれにルーツを持つ人びとの間で生じた「島民間」の紛争であったからだ。紛争は、ガダルカナル島に移住して暮らしていた大勢のマライタ系住民をガダルカナル側の武装集団が武力で威嚇して追い出そうとしたことから始まり、のちにマライタ系住民が結成した武装集団との武力衝突へと発展した。 約4年にわたる紛争での死者数はおよそ200名である。当時のソロモン諸島国の総人口は約40万人なので、数字だけで考えると、世界の辺境の小さな島国における小さな争いであったと感じられるかもしれない。しかし、この紛争による国内避難者数は35,000人にのぼる。つまり、人口の約1割にあたる人びとが、それまで住んでいた現地の「ありきたり」をみつめる民族誌調査と平和研究のつなげ方藤井真一 ふじい しんいち / 国立民族学博物館外来研究員「平和である」とは、どのようなことなのか。紛争後のソロモン諸島で行なったフィールドワーク中に気付いたことから、「戦争や暴力がない状態」とは別の切り口で平和について考える。

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