タンザニアままあることである。また、こちらが覚えてなくても、あちらの覚えはよいようで、街中を歩いていると、全然見覚えのない人からマクンドゥチ方言で話しかけられるなんていうこともあったりする。こんなときには、こちらもマクンドゥチ方言で応えるのだが、そうすると、周りにいるほかの人からは、何を話しているのかまったくわからない、なんて言われてしまう。 私がウングジャ島の都市部でお世話になっている家は、ストーンタウンと呼ばれる旧市街に位置している。ここから、マクンドゥチに行こうと思えば、まず市中バスに乗って、ムワナクウェレクウェの市場を目指すことになる。この市場の横にあるバスターミナル(通称:AshaFatuma)からマクンドゥチをはじめとする島南部へ向かうバスが発着しているのである。 トゥンバトゥの女性の行動範囲は、男性と比べると、ずっと狭い。たまに、結婚式や葬式などで、ウングジャ島に出向くことはあるものの、男性のように島外に長期滞在するというのはまれなようである。トゥンバトゥ島内には、ゴマーニ、ジョンゴウェという二つの集落があり、この二つの集落の間には(一応)車も通ることのできる道がある。ただ、女性は集落間を移動することもあまりしないようで、ジョンゴウェに行ったことがないというゴマーニの女性に出会ったこともある。 kuuzaという動詞は、都市部の方言では「売る」を意味するが、マクンドゥチ方言やトゥンバトゥ方言では「尋ねる」を意味する。「昔、街の病院で全然言葉が通じなかったのよね。」と話してくれたトゥンバトゥの女性が、例に出したのがこの動詞だ。こんな風に方言の違いを説明できるくらいなら、都市部の方言も話してもよさそうなものだが、彼女はトゥンバトゥ方言でしか話せないと言う。 言語地図を作るとしたら、ザンジバルはスワヒリ語の分布域と色づけられて、スワヒリ語の方言と分類されるマクンドゥチのKikaeやトゥンバトゥのKikayeの存在は見過ごされてしまうだろう。そして、その方言しか話せないようなモノリンガルの人がいることなんて想像されることすらないだろう。しかし、現実には、それらをkinyumbani(「家の言葉」)として生きている人たちが、そこには確かにいるのである。 17ザンジバル諸島ウングジャ島ペンバ島 トゥンバトゥストーンタウンマクンドゥチこのバスに書かれたTwenendeni「さあ、みんな行こう!」もマクンドゥチ方言の表現である。 「今日はどこに行くんだ? このバスは(マクンドゥチの)南部行きで、(私の目的地がある北部の)カジェングヮにはいかないぞ。次のバスまで待ちな。」バスターミナルには、たいてい誰か私のことを知っている人がいて(私が知っているとは限らないが)、こんな風に声を掛けられることはしょっちゅうである。バスに乗ったら乗ったで、そこで聞こえてくるマクンドゥチ方言のおしゃべりに耳を傾けたり、ときにそれに参加したりしながら、マクンドゥチに着くまでの約2時間を過ごす。私のマクンドゥチでのフィールドワークはいつもこうやって始まる。 あるとき、「AshaFatuma(バスターミナル)でKikae(マクンドゥチ方言)を聞いて、地元に帰ってきたなと感じたよ。」なんてふいに言って、調査協力者に喜ばれたことがある。どこかの土地に根差した日本語の方言を話すという自覚は(少なくとも現在の)私にはない。マクンドゥチという土地と密接に結びついたマクンドゥチ方言が、調査対象という枠にとどまらず、私のkinyumbani(「家の言葉」)となっているというのは、案外偽らざる本音だったのかもしれない。マクンドゥチの調査協力者とその娘。トゥンバトゥの港。トゥンバトゥ島の二つの集落を結ぶ道。トゥンバトゥ方言しか話さない 私のもう一つの調査地は、ウングジャ島の北側に位置するトゥンバトゥ島という小島である。ウングジャ島北部のムココトーニの港からトゥンバトゥ島まで、エンジン付きのボートで30分ほどだろうか。あまり知られていないようだが、ここの人たちは自分たちの土地のことをKaye、自分たちの言葉をKikayeと呼んでいる。これらもマクンドゥチのKaeやKikaeと同様に、バントゥ祖語の*káájà 「家、村」に対応すると考えるべきだろう。 トゥンバトゥ島の男性の多くは漁業を生業とするか、漁業に従事した経験をもっている。彼らは、自前の舟でタンザニアの大陸沿岸部やザンジバルのペンバ島へと出かけていき、数カ月間、漁をしながらそこに滞在する。そのため、彼らは、島外の人とのコミュニケーションにそこまで抵抗は感じていないようだし、島外のスワヒリ語にも慣れ親しんでいる。
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