フィールドプラス no.29
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15バルコニーから見たシェイフ・リハーン通り(2008年筆者撮影)が運ぶ砂の掃除から一日が始まり、断水やら給湯器の故障やらの対応に日々追われることになった。だがカイロ市の中心タハリール広場から徒歩数分で、警察国家エジプトにおいて治安を統括する内務省の隣ということで、道路はカイロでは珍しく清潔に保たれ、間違いなく安全ではあった。当時の私は、現地の人たちと同じ生活水準で暮らすことに矜■■■持■すら持っていたほどだった。 ヌーサの言った通り、彼女の家族にとって、娘が一人で暮らす懸念と比べれば、異教徒の外国人という「異物」が家庭に加わること自体、問題ではなかったようだ。ヌーサ自身、ギリシア・ローマ時代から続くアレクサンドリアのコスモポリタン的性格を体現していた。彼女が最も堪能な外国語はギリシア語で、英語、ドイツ語、フランス語に加えてサンスクリット語も囓っていた。そして日本語も日常会話は問題ないレベルだったのだ。学生時代は柔道のエジプト代表選手にも選ばれ、1984年のロサンゼルス・オリンピックで山下泰裕氏と金メダルを争った、かのラシュワン氏の弟子だったという。ヌーサは私の好奇心のみならず、わがままやフラストレーションにも辛抱強く付きヌーサと(2010年撮影)アレクサンドリアにて。左側が筆者。合ってくれた。他方、長距離列車で片道三時間を要するアレクサンドリアに隔週で一緒に帰省していたことに加え、冠婚葬祭への出席、子守、病気見舞いなどの親戚づきあいが私の週末の予定を埋めていった。これら自体、一留学生としては貴重な体験であったが、限られた時間で成果を持ち帰らなければと焦っていた自分は、ヌーサから派生する人間関係に巻き込まれ、勉強に充てるべき時間やプライバシーが奪われていくことに苛立ちを覚えたのも事実だった。だが、個人の自由よりも他者とのつながりを優先させることが、エジプト社会の常であり、最たる処世術でもあった。アラブの春(2011年筆者撮影)タハリール広場にデモ隊がテント村を形成し、その周りを戦車が囲んでいる。手前は自警団で、広場に立ち入る人々の身元確認や手荷物検査を行なっていた。えた。治安が悪化し、通信網が遮断され、金融機関が閉鎖されたことで、自力での出国はできなくなった。本当にあっという間の出来事だったのだ。「見届けなければ」という歴史研究者としての思いと、それが蛮勇ではないかという自制心との■藤の中で、PCと、ヌーサの力添えで手に入れた寄進文書のコピーだけを持って、日系企業の助けを借り、私はドバイへ、ヌーサはアレクサンドリアへと逃れていった。 アラブの春によって三十年に及ぶムバーラク政権は崩壊したが、軍による暫定統治が敷かれたことで治安は急速に回復し、結果的に我が家は無事であった。革命の前後、激動の三年間を暮らしたあの家には、思い出という言葉では表現できないほどの濃密な時間が詰まっている。だから、エジプト留学で何を得たかと問われれば、「写本研究所で未校訂史料を精読」していたと履歴書に書いたことに何ら偽りはないが、ヌーサと、シェイフ・リハーンのあの家で、日々の喜怒哀楽を分かち合ったことが一番の学びだったのだ。再び、シェイフ・リハーンへ その家を再び訪れる機会がやってきた。2022年8月、アレクサンドリアに戻っていたヌーサと一緒に、シェイフ・リハーン通りを歩いた。十一年の時を経て周囲は様変わりしていた。革命の舞台となった内務省は移転し、フラット一階の食料品店は運送会社になっていたが、フィシーフ(塩漬け魚)屋の店主が私たちを覚えていてくれた。帰国後の私は、「つながることで生き残る」をテーマに歴史研究を続けている。ヌーサとの暮らしと革命を経て、時代は違えども、様々な出会いをもたらし、エジプトに生きることの喜びと厳しさを教えてくれたこの家は、研究者としての体の一部だと思っている。 「ファウダ・ムナッザマ(秩序ある混沌)」の国で エジプトでは毎日奇想天外なことが起こる。そして確たる理由も分からぬまま、右往左往を余儀なくされる。当初、それは私が外国人で、現地の事情に不慣れなためだと思っていた。だが、現地での生活に馴染んでいくほど、トラブルは減るどころかむしろ増えたくらいで、ヌーサとの共同生活を通じて、エジプトがローカル向け、外国人向けのダブル・スタンダードの国だということを徐々に思い知らされた。そして、自立して生きようとする女性が直面する数々の有形無形の壁、「生きづらさ」を身近に感じることにもなった。 思い返せば、この家も結局二人では借りられず、契約に際してはヌーサの叔父と妹の立ち合いが必要であった。私が帰国したらヌーサはどうなるのだろう。また一人、孤独な闘いに戻るのだろうか。そんなことを考えていた矢先の2011年1月末、アラブの春が起こった。タハリール広場をデモ隊が占拠し、その一部が内務省に突入を試みたことで、戦車が配備され、自宅前で火炎瓶、さらには銃弾が飛び交う展開になった。「窓を閉めろ!」という怒声の3秒後に響く破裂音。時代の転換期に人の血が流れるのを目の当たりにして震

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