世紀になるとペゴンで書かれた宗教書も他のキターブと共に、ジャワ北海岸の諸都市で出版されるようになった。ぺゴンの宗教書は、ジャワ語しか解さない農村部の民衆に向けて、「正しい」イスラームの基礎知識を伝えるために執筆されていた。 ペゴンで書かれた宗教書の写本は、図書館にも保管されているが、まだ多くは各地の民間の宗教学校に保管されている。やはり保存状態は悪く、整理がなされていない場合も多いが、プカロンガン出身のアフマッド・リファイを祖とするリファイヤのように、ペゴンで書かれた宗教書を宗教活動に使い続けている集団も存在する。 5ジャワ島北海岸クドゥスにあるイスラーム寺院遺跡(筆者撮影)。リファイヤのメンバーがぺゴンで書かれた宗教書を読誦している場面(筆者撮影)。16世紀のジャワ文字写本『ボナンの書』(ライデン大学附属図書館所蔵 Or.1928)。19世紀のぺゴン写本、アフマッド・リファイ著『シャリフル・イマム』(筆者撮影)。ぺゴンの場合はアラビア文字の上下に母音符号が付加される。アラビア文字ジャワ語ペゴンの登場 ジャワ文字ジャワ語はその後も王宮を中心に使われ続けたが、18世紀にはアラビア文字表記のジャワ語ペゴンが登場した。ペゴンとは「純粋なジャワ方式でない話し方」を意味する語であったが、19世紀にジャワ各地でイスラーム寄宿学校(プサントレン)の数が増加し、そこでアラビア文字表記のジャワ語が使用され始めると、これがペゴンと呼ばれるようになった。 ペゴンは当初、アラビア語文献のジャワ語翻訳や解説に用いられていたが、次第にプサントレンで学んだ者はペゴンでものを書くようになり、ペゴンでイスラーム書を書く宗教指導者も出てきた。19世紀末にはジャワでも、出版されたアラビア語やムラユ語のキターブは多く読まれたが、20ジャワ文字ジャワ語で表記された イスラーム世界 ジャワ島ではヒンドゥー・仏教諸王国期には広く古ジャワ語が用いられていたが、イスラーム期に入り言語はジャワ語に、文字はジャワ文字へと変化していった。現存する最も古いイスラーム関連の現地語写本は、西欧人商人によってジャワ北海岸港市から持ち帰られた16世紀のイスラーム教義書であるが、それらはジャワ文字のジャワ語によって表記されている。イスラーム教義書の内容は「よいムスリムになる」ためのシンプルな倫理書から、より難解なイスラーム神秘主義思想的物語まで様々なものが今に伝わる。そこには神と人間の関係や知のあり方について濃密な議論が見られる。 ジャワ内陸のマタラム王宮では18世紀にジョグジャカルタ王家パクブォノ1世の妻、ラトゥ・パクブォノがアレクサンドロス物語、ヨセフ物語、アミル・ハムザ物語、ムハンマドの昇天物語など、ペルシャ語、アラビア語、ムラユ語などの主要なイスラーム文献をジャワ語に翻案させたことが有名である。アミル・ハムザ物語は遅くとも17世紀にはすでにジャワ語に翻案されていたが、18世紀にアミル・ハムザはメナックに、ウマルはウマルモヨにとジャワ風に名を変え、19世紀までメナック物語の多様なジャワ独自のスピンオフの物語が大量に創作され続けた。これらの物語は人形芝居(ワヤン・ゴレック)としても人気である。これらの写本は現在、インドネシアやオランダの図書館に保存されている。
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