フィールドプラス no.28
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2022年3月10日、AA研での最終講演後、倉部所員から花束の贈呈。わかると思うけど、すごく好評でした。研は変わらないんだから」って言われたけど、こうやって20年たったら随分変わりましたよね。みんな共同研究を自然に受け入れてるし。どういう研究を構想するかってことが、建物で表現できたらすごく嬉しいなと思ってる。23 「新しいAA研」を作る荒川 AA研は2002年に府中に移転しています。東京外国語大学文書館から「建築中のAA研」という貴重な写真を提供していただきました。峰岸 カッコいいね。正直、円環の通路から見てあんなにカッコよくなるというのは僕も全く想像がつかなかったです。Illustrator買って、(8階分の平面図をレイヤーにして重ねて)概念設計をしました。概念構想と言っても素人がやることで……、でも(設計に関与した)僕の気持ちとしては言語学と一緒で、理論の予測通りに実際の文が実現するように、理念っていうのは具体的な建物の形にならないといけない。 AA研には情報化っていうことと、共同研究をやりやすくすること。その二つを軸に持ってくる。そうすると、物理的にここにインターネットの回線ひくってなると、(サーバーは)どこにあってもいいっていうものじゃなくて、その時は芝野(耕司)さん【情報処理学】に聞いたんだけれども、建物の中央部分に持ってこないと回線が端の方まで届かないって。で、物理的なケーブルだから、そうすると4階か5階で必然的に置かれちゃうわけだ。後は、下の方は所員以外の人たちが来るスペースだから、会議室はどうしても2、3階になりますよと。で、共同の研究、これから新しいスタイルの研究をするんだっていう考えが今の(大部門)企画作業室が南側の一番いいところに。それまでの研究は個人研究室が主体だったところを、(言語、歴史・地域研究、人類学の三分野を想定した)三つの大部門企画作業室を作った。それはみんなで来て、集まれるようなネットワークプリンタもあるし、南側のいいところを充てたわけ。荒川 なるほど。心臓部を先に、本当に物理的に建物の中心に置くという発想でこの建物ができたのですね。峰岸 僕も本当に、建物だけじゃなくて、理論的な物っていうのは、実証されないと意味がないと思ってる。だから共同研究っていうのは、理念は美しいけど、建物はそれを表現しないと、建物の形で。 共同研究に見合った建物が設計できたってのは、僕はすごく幸運だったと思うし、表現がどこまで伝わるかはわからないけど。概念のレベルで止まってては、やっぱりいけない。みんなが共同研究が大事だって言うんだったら、共同研究しやすい建物にしないと。ある人に「君が何(※予算請求の書類)書いたってAA辞書でアウトリーチ倉部 カンボジアで日本語教育が盛んではなかった1990年代に『日本語・カンボジア語辞典』を刊行され、現在に至るカンボジアの日本語教育に大きく貢献されているお話にとくに感銘を受けました。峰岸 本当に驚いたことがありまして。辞書ができて30年経っているんですけど……、中国の人に聞いたんだけども、あるとき留学生の集まりで、日本に来て六ヶ月も経たないカンボジア人の子にすごく日本語が上手い人がいたって。「どうやって日本語覚えたんですか?」って聞いたら、「こういう辞書があるんです」って、宝物みたいにコピーを出した。元の本(例の辞典)のね。これの例文を全部覚えたんですって。僕はその時になんにしろ「てにをは」が分かるような例文、ちゃんと助詞が分かるような例文を、相手(学習者)の母語は孤立語だから、たくさん作って。日本語覚える時に大事なのは、助詞とか文法が短い例文の中で習得できるってことだと思うんですよ。単語は国際交流基金が選んだ単語が6000とか7000語とかありますよね。そいつにできる限りの例文をつけました。すると、大したもんで丸暗記する学生がいるんだよね。そうやって勉強すると、目覚ましい進歩で、日本に来ても目立つくらいに日本語ができたと。そういう優秀な人たちはどこの国にもいるから、作ってよかったなと本当に思いました。作ってから25年後。もう30年近く経ってからその話を聞いて本当によかったなと思います。向こうにとっても何かいいことがないと、一緒にやっていくのに。そういう形で何か恩返ししたいなと思います。倉部 ご研究を通じて、日本とカンボジアの学術交流にも大きく貢献されているのですね。峰岸 今、人文系の研究に限らず、日本は金がなくなってるんだけど、人間金がない時の方がいい仕事できるよ。自分の腕一本で勝負できるからね。僕が望むことって言ったら、梅田所長に言われたことで、自由にやってくれと。もうそれで十分だと思う。なるべく自分たちの興味と良心に従って皆さんが好きにやってもらうのが、ね。AA研はいいところだよ。どうも。荒川・倉部 本日はどうもありがとうございました。

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