17ボリビア・アンデスの道。段々畑をスペイン語で「アンデネス」ということから「アンデス山脈」になったのだとか。本当かな。「道中、ひょっとしたらカリカリが現れるかもしれない。ひとりで旅するのは危険なことよ。ネギや笛さえあれば、カリカリはあなたを襲うのをためらうはず。しっかり身につけていきなさい。また必ず遊びに来るのよ。」 カリカリとは、広くボリビアのアンデス高地で存在するとされている脂肪を取る悪霊である。これは先住民の言葉であるアイマラ語で「切り取る者」ということを意味する。カリカリは、ひとりで旅をする人や、旅の途中に眠くなりぼーっとしている人を標的にしてその人に傷を付け、脂肪を抜き取る。脂肪を抜き取られた人は、数日の間に原因不明の高熱を出し、治療をしないと死に至る。 このカリカリについての■は、確かにウピヌアヤ村に行く前から聞いたことがあった。しかし、それが音楽とネギで撃退できるものだということは初めて知ったことだった。ウピヌアヤ村の村長の妻は、カリカリがいかにおそろしいか、それに対して笛の音とネギのにおいがいかに予防策になるかを丁寧に説明してくれた。 私はふと、ウピヌアヤ村でトゥワイリュの音楽が禁止されるようになった理由も分かった気がした。ウピヌアヤ村の人にとって、音楽は立派な「悪霊の魔術に対する防衛術」だ。しかし、「悪霊の魔術に対する防衛術」は、端から見るとそれ自体「悪しき魔術」のように見える。ウピヌアヤ村にやってきたプロテスタントの伝道師たちは、土地の習慣であるトゥワイリュの音楽におそろしい魔術的な力を感じたからこそ、演奏を禁じたのかもしれない。私は、そう思った。 チャリャと呼ばれる出発の儀礼も済ませて、私は村長たちのもとを発った。私はその後無事、チャラサニ村へ、そしてラパス市へと戻ることができた。ボリビアの道をひとり行く。人とすれ違うこともまばらで、歩いていてやっぱり少しさびしい。私たちはひとりで旅している時、ひとりではない その後何度かウピヌアヤ村や、チャラサニ村に通ううちに、アンデス高地を旅することがいかに「霊的な意味で」危険なことかを知るようになった。旅人を素敵な歌声で誘い出し、谷に落として殺してしまうセイレーン。熱気とともに現れて人間の生きる力を一息に奪うアコ。ボリビアをひとりで旅するのは本当に危険なことだと知った。 しかし、同時に私は不思議な感覚を持つようになった。私がボリビアの山々をひとりで旅をしている時、実は私は「ひとり」ではなかったのだ。そう思ってみると、ボリビアの風景がまた違ったものに見えた。 いつかあなたがボリビアに行く日があったら(……そんな日はあるんだろうか?)思い出してほしい。あなたがボリビアをひとりで旅する時、そこには目にはさやかに見えないたくさんの悪い奴らがいることを。そして、それらからあなたを守ってくれようとする人々のやさしさがあることを。 ボリビアの村にひとりで行く 私はある時、ボリビアのウピヌアヤという村へ旅をすることにした。ウピヌアヤ村では、トゥワイリュと呼ばれる音楽がかつて演奏されていた。これは今から50年ほど前までは一帯でよく知られた音楽だった。しかし、その後トゥワイリュの伝統は忽然として消えてしまった。ウピヌアヤ村に新しい宗教であるプロテスタントが流入したことにより、その土地のもとの宗教であったカトリックの祭りは大幅に縮小され、それと結びつきがあるとされたトゥワイリュの演奏も「悪魔の音楽」であるとして禁止されてしまったのだ。消えてしまった「幻の」音楽。そのロマンを求めて、私はどうしてもウピヌアヤ村に行ってみたくなり、ひとりで行ってみることにしたのだ。 私はウピヌアヤ村に知り合いがいたわけでもなく、仲介してくれる人も見つけることができなかった。仕方なく、村から一番近い長距離バスが出る集落であるチャラサニ村から、たまたまウピヌアヤ方面に行こうとしていたトラックの荷台に載せてもらい、ウピヌアヤ村に行くことにした。 ウピヌアヤ村に着いて、一番最初に出会った中年の男性に村に来た事情を説明すると、その村の村長の家に案内された。村長は、家に妻とふたり暮らしをしていて、子どもはすでに家を離れているということだった。村長は、私のために自宅の納屋に寝床を作ってくれ、食事をごちそうしてくれた。「この村はペルーから近くて旅人がよく訪ねてくるんだ。そういう時に私たちは必ず受け入れる。しかし、日本から人が来るとは驚きだ。」と村長は笑いながら話した。私はその村に数日間滞在し、かつてトゥワイリュを演奏したことがあるという人々から─村長自身もその一人であった─音楽とその記憶についての聞き取りをすることができた。思いもよらない「キケン」 数日が経ち、調査が一段落したころ、近いうちに久々にバスが村を通るという話を聞いた。そのため、私は一旦調査を切り上げようと考えた。その旨を村長とその妻に伝えると、彼らは「ぜひまた来るように。」と言ってくれた。 その次の日、バスを待つために村長の家を出ようとしたところ、村長の妻が思い出したように、家の中に入り、その後庭を通って、私のところに駆け寄ってきた。彼女が持っていたのは、一本の笛と庭から引き抜かれたばかりのネギだった。
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