15住み込みで働くハウスガールを求める外国人家庭は、高級住宅地に居を構えることがほとんどだ。ケニア人中産階級の場合も、シングル女性がスラムでひとり暮らしをするよりはるかにいい住環境で、水道、電気、TV、専用のベッドもある。いくことになったのだった。子どもたちの父親は彼女と出身民族が異なることもあり、親族からのサポートを得ることも難しく、彼女は相変わらず数々の他人の子どもたちの世話をしてハウスメイドとして生計を立てた。そこへ、時代の波が彼女を襲う。ほかのアフリカ諸国と同様、ケニアも2000年代より小学校の無償化が始まり、急激に学歴社会となっていく。エレン本人は小学校も卒業していないにも関わらず、子どもたちには教育をつけさせねば、と懸命に働くことになる。学歴さえあれば、いい職(ホワイトカラー)に就けるはずだ――。 2人の娘が、セカンダリースクール(中高等学校)、ITの専門学校も終え、いまは何かいい就職を探していると言ったときの彼女には、教育をつけさせた安■と将来への希望を抱いている様子がみえた。それもつかの間、コロナ禍が始まる直前に彼女を訪ねると、長女がシングルマザーになったという。ひとりで娘たちを育て上げ、自分の老後をそろそろ考える段になって、エレンは息つく間もなく新たな頭の痛い心配事を抱えることになったのである。当時は携帯電話もなかった。次に偶然に出会ったのがキシイ人夫婦で、1年間、その家庭の双子の世話に奮闘した。その次に行ったのが、5才児をもつシングルマザーの家だった。この母は、住み込みで家にいる彼女に子どもをまかせボーイフレンドのところに行き、予告なしに1週間以上、家をあけることもあった。十分な食料もなく、5才児を抱え大変な思いをしたという。懲りた頃に、今度はキクユ人とルオ人夫婦の家庭で働けることになり、10年間住み込み子どもたちを育てた。 いま現在、彼女が暮らすドイツ人とエリトリア人夫婦の家庭は、三つ子の男の子が生まれた際に来て、もうすぐ10年になるという。彼らがいたずらざかりになった今も共に暮らしているが、そろそろ彼女も人生の次の段階を考える時期に来ているようだ。「もう人の子育てはいい」という。ただでさえ大変な赤ん坊の世話をダブル(双子)、トリプル(三つ子)でやってきた彼女。想像にあまりある。また、彼女は言う。「妹たちの学費は、私が全部払ったの」。7人姉妹の第一子として生まれた彼女。自分の家族、妹たち、そして他人の子どものために、自分の青春のエネルギーを注いで生きてきた。 2019年に会ったとき、彼女は教会で出会った人と結婚する、と嬉しそうに言った。私は内心、その男は彼女のことをだましていないだろうか、幸せになれるだろうか、と心配していた。翌年訪ねたとき、彼女は「あの男性とはうまくいかなかった」とだけ言った。アフリカでは一般的に、女性は10代後半から20代が結婚適齢期である。そして近年のナイロビでは、30代で定職についているシングル女性が、その経済力を目当てにした男性にだまされやすいのも事実だ。 いま世話をしている3人の子どもたちが巣立つとき、彼女はどのような道を歩むのか。カレンの場合幸運だったのは、何と言っても外国人に雇われたことである。ケニア人雇用主よりも給料が高額で、少しずつ貯めて故郷のカカメガ近くに自分中産階級が増加するケニア。こうしたアパートメントが増加している。プール付きの物件も多くなってきた。それぞれの世帯にハウスガールがいる。彼女たちにとって、子どもが幼稚園や学校に行っている家事の合間が、同業者とちょっとおしゃべりをするなど、息抜きの時間である。の土地を購入したという。父系社会の伝統的システムでは、女性には父からの土地財産の相続権はない。夫不在の「ひとり」女性はとりわけ、老後にどこに暮らし、どこで死に、埋葬されるのかが大きな問題として立ちはだかってくるのである。 人間は、生まれてきてから歩けるようになるまで、そして自分で食べられるようになるまで、多くの助けを必要とする。子ども自身は記憶にほとんどないその時期の世話を、親/大人が献身的にすることで子どもは育っていく。命を預かり世話をするほうは、子どもの成長の時期によって睡眠も確保できないほど大変な労働でもある。そうした時間を経験して親は初めて、自分自身の親を思い、人間が生まれ育つ意味を実感する。しかしハウスガールが介在する親子関係はどうだろう。人に子育ての労働部分を任せるケニアの中産階級以上、外国人家庭の親たちとハウスガール、ハウスガールと子どもたちの関係性はどのようなものか――。私自身、日本においては子育てと仕事の両立を何とか試みる毎日だが、他方フィールドにおいて、他人の幼子の世話を繰り返しし続ける、彼女たちの人生を思うのである。 ある中産階級のアパートメントのリビング。ハウスガールは、つねに部屋を美しく保つように要求される。カレンの場合:キョウダイのために 1970年代後半に生まれたカレンは、私と同じ70年代生まれとあって、自分に重ねて彼女の人生をより思う。 カレンは西ケニア、ルイヤ人家庭出身で7人姉妹の長女である。セカンダリースクールに進むも、父が学費を払えず、2年生で中退することになった。やがて学校の先生の紹介でハウスガールとしてナイロビに出た。2人の子どもを持つシングルマザーのところで住み込みで働き始め、水■みに始まる家事と子どもの世話を一手に引き受けることになった。自分のスペースは全くなく、居間のソファで眠った。ナイロビには知り合いは全くおらず、その閉ざされた家庭内での労働の日々があまりにもきつくて、2か月で逃げ出したという。
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