他人の家庭に住み込み、家事や子どもの世話、いっさいを引き受ける「ハウスガール」。近年、経済成長が続くサハラ以南アフリカでは、新興中産階級が増えるとともにハウスガールの需要が伸びている。他人の子どもの世話をし続ける彼女たちの人生を垣間見た。ケニアカカメガナイロビ*写真はすべて筆者撮影。14ハウスガールにとって憩いの場は教会である。1週間のうち1日だけの休息日、朝から午後にかけて4〜5時間は教会で過ごす。悩みを打ち明け、祈り、歌い、踊る場である。そこで毎週会う教会の友人たちとの交流が心の支えだ。母である、と社会的地位を定め、安定した人間関係のなかで助けあって生きるように、慣習的規範や、幾世代にもわたりたどれる縦と横に大きく広がる親族関係がある。結婚は人生のなかで最も大きな出来事で、村の人々が社会的承認をするなかでカップルが成立し、結婚生活が始まり、そう簡単に別れたりはしない。しかし、そうした社会的環境はときに個人に強制力をもって立ちはだかる。逆に、そのようなしがらみを振り切り人生を送りたい人は、見知らぬ人が多い、伝統的な慣習や信念もきかない都市に出るのである。そして何より、現金を稼ぐために都市に出る。に住み込みで家事や子どもの世話を行う女性のことである。この名称は英国植民地時代からそのまま残っていると考えられるが、当人たちは自分たちのことをほかに「ハウスメイド」、「ハウスヘルプ」ともしばしば言う。ヴィクトリア湖村落は「ひとり」にさせない社会 私が東アフリカ・ケニアで社会人類学の調査を始めたのは1990年代の半ばで、ヴィクトリア湖周辺に位置するケニア西部の村落であった。たまたま出会った、夫を亡くした寡婦の家に受け入れられ「娘」として暮らすことになった。村落は、いわば「ひとり」にさせない社会だ。誰それが父で椎野若菜 しいの わかな / AA研都市には「ひとり」が多い アフリカの都市でも日本と同様に、パートナーと共にいない、「シングル」な人がけっこう多いのに気づく。未婚で親になった人、結婚もしくは同居していたがうまくいかなかった人、パートナーを亡くした人……。日本と異なるのは、子持ちのシングルが多いことだ。そういう意味では、物理的に全くの「ひとり」ではない。 私が近年追っているのは、首都ナイロビに出てきている「ハウスガール」と呼ばれる、ある家庭首都ナイロビで働く人びと ケニアの首都、ナイロビ。ほかのアフリカ諸国の都市と変わらず、多くの、様々な民族出身の人々が田舎からやってきている。出稼ぎ男性が多かった都市部スラムでも、家族を呼び寄せナイロビを拠点に家族生活をする人たちが増加する一方で、そうした都市に居る親族を頼って様々な理由で村落を出てくるシングル女性も増えている。彼女たちは掃除人、料理人、洗濯婦、路地やスラム街での小ビジネス、あるいは性産業等に従事し生活している。近年のアフリカの高度経済成長により、中産階級層が増加し、住み込みで家事労働や子守をしてくれる人材を求める家庭が増加している。ハウスガールとして働く女性たちの動機といえばたいてい、シングルマザーとして自分の子どものために、親や幼いキョウダイたちのために稼がねばならない、というものだ。これまで何人ものハウスガールに話を聞いているが、ここでは印象的な2人のことを記したい。エレンの場合:シングルマザーという連鎖 1960年代前半生まれの彼女は、西ケニア・カカメガ近くの村落で生まれたルイヤ人だ。2人の兄弟と5人姉妹の7人キョウダイで、彼女は第三子だった。エレンが小学校6年のとき母が末っ子を出産したが、村のお母さんたち二人が来て懸命に手伝いをしたものの、母が亡くなってしまったことをよく覚えているという。それ以来、人生は変わってしまった。8年制の小学校を中退し、地方都市に住む従姉の元でハウスガールとして働くことになった。従姉が単身で教員養成学校へ2年間学びに行くため、赤ん坊の世話を手伝いに行ったのだ。それ以来、彼女の「ハウスガール人生」が始まったのである。そのお宅の次には、首都ナイロビで6人の子どもがいる家庭の末っ子の面倒をみた。さらに次に、西ケニアの地方都市で従姉の二番目の子どもの面倒をみるために2年間……。やがて17歳になった彼女は、結婚することになった。出稼ぎをしている夫の実家にいたが、子どもができないことをはじめ婚家でいろいろと言われるのが嫌になり、工事現場などの日雇いで働く夫のいるナイロビに出た。ハウスメイドとしてインド人の家庭をいくつか転々としているうちに、夫とはうまくいかなくなり離婚。その3年後に新たな男性と一緒になり、2人の娘に恵まれた。ところが娘が6歳と3歳になった頃に、その夫が別の女のところへ行ってしまった。以来、彼女は2人の娘をもつシングルマザーとして、暮らしてひとり「ハウスガール」の人生を思う
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