フィールドプラス no.28
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エジプトカイロ・アメリカ大学の中庭でくつろぐ学生たち。当時、ヴェールをまとう女性の割合が少しずつ増えつつあった。(2004年筆者撮影)カイロの高級住宅街の通りで。男性がモスクに集う金曜礼拝の時間には屋内に入りきらず、近くの路上で礼拝する人々の姿が見られた。(2007年筆者撮影)ごとう えみ / AA研カイロ留学中に筆者(左)の自宅で開催したパーティの様子。テーブルには寿司やおでん、コフタ(エジプトのミートボール)などが並ぶ。(2005年筆者友人撮影)カイロ 2004年3月のこと。私は、当時所属していたカイロ・アメリカ大学のジェンダー・女性学研究所主催のセミナーに登壇するため、カイロ中心部にあるタハリール広場に隣接するキャンパスにいた。博士課程二年目でエジプト留学に出た私にとって、初めての英語発表だった。それだけでも恐ろしいのに、報告内容に不安があった。タイトルは「クルアーンとヴェール――啓示の背景とその解釈について」。クルアーンとはイスラームの啓典で、ヴェールとは髪覆いに代表されるムスリム(イスラーム教徒)女性の装いの総称である。この二つの関係性は修士論文で扱ったテーマで、論文誌にも投稿し、それなりに内容を練ってきたつもりだった。なぜ不安だっ12たのかというと、それがムスリムの聴衆に向けての初めての発表機会だったということもあるが、それ以上に、「クルアーンとヴェール」というのが、センシティブな話題だったからである。 2000年代前半、宗教意識が高まりつつあったエジプトでは、イスラームやクルアーンに関して、誰がどのような発言をするか、目を光らせる人々がいた。折しもフランスの公立学校でムスリム女性のスカーフ着用を禁止する法律ができたばかりで、ヴェールに関する話題や、ヴェールに対する外国人の見解について、多くの人が関心を寄せていた。 セミナーの開始時刻である17:00を過ぎた頃から、参加者が増え始め、いつの間にか5、60席あった椅子がいっぱいになった。床に胡■■■坐をかいて座ったり、壁際に立ったりする人々の中には、(敬■さや厳格さの象徴とされる)「あご髭」を蓄えた青年たちもいた。目の前に5台のカセットテープレコーダーが並べられ、カメラのフラッシュが光った。不用意な一言で、研究人生どころか、すべてが終わるかもしれないと、緊張は最高潮に達した。 報告では、クルアーンを根拠に、ヴェールの着用が義務であるとも、義務ではないとも主張しうるのはなぜかという問いを扱った。私はその理由の一つが、ヴェールに関係するクルアーンの啓示(24章31節)がもっている意味の曖昧さにあると結論づけた。その後、質問やコメントが続いた。まるでモスクでの講義を聴いているようだと皮肉交じりに言う人や、携帯用のクルアーンを片手に「あなたの啓典理解は間違っている」と顔をしかめて批判する人もいた。その一方で、ヴェールの着用はムスリム女性の義務かどうか、専門家としてあなたはどう考えているのかと尋ねられたり、フランスの法制化に対する見解を問われたりした。非ムスリムがイスラームを研究する意義についても、熱い議論が沸き起こった。 その日、もっとも意外だったのは、セミナー終了後に何人もの男女が、「イスラームのことを一生懸命勉強してくれて、真剣に理解しようとしてくれて、どうもありがとう」と言いに来てくれたことだった。それまでの私にとって、イスラーム研究の面白さは、知らないことを知り、思いがけない論理に出会うことにあったが、この時、あらためて、イスラームとは人々が信じ、実践しているものだということを意識した。 あれから20年が経とうとしているが、あの日の感覚は、今でも私の研究の土台となっている。日本での日常生活の中で、イスラームを思い起こすことはあまり多くない。それでも、私がクルアーンや宗教文献、最近の議論などを、辞書を引きながら読み続けるのは、宗教としてのイスラームを知りたいという思いからだけではない。旅行や留学、調査で訪れた世界の各地で、そして日本の中でも、イスラームと共に生きている、多くの人々とのあたたかな交流があったからであり、かれらの大切にしているものを理解したいと願うからである。 宗教や思想は、人の営みだと意識することでいっそう面白みを増す。エジプトでイスラームを研究した日々の中で、そのことを教えてくれたのは――。初めて続きのセミナー発表後藤絵美意外だった反応ヴェールとあご髭と私

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