していく必要がある。これを通じて、これまで欧文資料に大きく依拠して描かれてきた南部フィリピン・ムスリム地域の歴史を、より多元的、動態的にとらえなおすことが可能になるだろう。 9域コミュニティーの秩序を支えていたことを示している。がわかる。このような歌が草の根レベルでのイスラーム化において重要な役割を担ってきたのだろう。写真2(上の3点) 慣習法を記録した巻物と保管容器の竹筒。グロ・サ・マシウ・コレクション。筆者撮影(2011年9月、南ラナオ州)。写真3 イスラーム神秘主義哲学の書。シェイク・ムハンマド・サイド・コレクション、B1-Ms4。筆者他撮影(2012年3月、マラウィ市)。写真4 「マシウ王国」の宗教指導者、故ムハンマド・アメル氏と調査チーム。調査チーム撮影(2011年9月、南ラナオ州タラカ町)。ハッジが持ち帰ったイスラーム写本 次に紹介するのは、19世紀初めにメッカ巡礼を行ったイスラーム学者が、数年にわたる旅の間に書き写した写本である。これらには装飾の施されたクルアーン写本やイスラーム諸学の書がある。このなかに存在一性論に関するイスラーム神秘主義哲学の書があるが、この写本は2000年代初めに行方不明になってしまった。しかし、19世紀末から20世紀初め頃、彼の子孫がこの作品を書き写して新たな写本を作っており、それは彼の子孫によって大切に保存されている。写真3はこの複製写本である。右側の頁には「存在の七階梯」を示す図、左側にはムラユ語の説明が書かれている。外部からもたらされた知識はこのように写本を通じて次世代に伝えられてきた。 このイスラーム学者は聖者として人々に崇められ、死後もそのご利益にあずかるために墓を訪れる人が絶えなかったという。彼は故郷の町の指導者の間に新たな「取り決めと合意」を結ばせ、町の統治システムをイスラームの教えに基づいて改革したと伝えられている。その誓約の儀式ではクルアーン写本が「証人」として使われたという。正確な事実は不明だが、この伝承は、旅を通じてイスラーム神秘主義の知識を学んだイスラーム学者が、聖者として社会的に大きな影響力を持ち、従来の社会制度に新しい要素を導入することができ、それを通じてイスラームが徐々に社会に浸透していった可能性を示唆している。マラナオ語歌謡 マラナオ社会には豊かなマラナオ語口承文学の伝統が根付いている。そのなかに警告、訓戒、賞讃などのメッセージを伝える「ダラグン・ア・シンディル」という歌謡の一種がある。ある写本には、村の宗教指導者が作った「ダラグン・ア・シンディル」の歌詞が書き留められている。最後の部分しか残っていないが、作者はその中で、燃え盛る地獄の業火や、終末の日に現れて人々を飲み込む大蛇や鰐■■を描写し、平穏を望まず村の約束事を破る者は地獄行きと警告し、堅固な信仰心を持つように説いている。作者はこの歌をアッラーに従わない人に与えると述べている。宗教指導者が住民に対し、イスラームの教えに従い、地域社会の決まりを守って社会秩序を維持するようマラナオ語の歌を通じて訴えていたことミンダナオ写本研究の夜明け このように、これまで曖昧模糊としていた20世紀初頭以前のミンダナオのムスリム社会の状況の一端を、写本を通じて垣間見ることができた。19世紀のマラナオ社会では、イスラームの知識を学んだ宗教指導者が既存の権力分散型統治システムの一翼を担い、このシステムを宗教的に正当化して影響力を強めつつ、イスラームの教えを社会に浸透させていったように思われる。マギンダナオやスールーでは政治権力の集中によりスルタン制イスラーム国家が成立し、イスラーム法と慣習法にもとづく法典が編纂されたが、マラナオ社会のイスラーム化はこれらを伴わず、外部から見えにくい形で進んだのではないだろうか。 ミンダナオの写本の保存・集成・研究はまだ端緒についたばかりである。現地の研究者と協力し、より多くの写本コレクションの保存・目録作成を行い、研究に利用
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