図1 マラナオ「4王国」の模式図8ミンダナオ島南ラナオ州マギンダナオ州スールー州写真1 「マシウ王国」の宗教指導者、故ムハンマド・アメル氏の家族と写本コレクション。筆者撮影(2013年9月、南ラナオ州)。文資料に大きく依拠しており、ムラユ語や南部フィリピン諸語の資料はごくわずかしか利用されてこなかった。 そこで私は、2000年代初め以来、現地で宗教指導者や高齢の住民を訪ね、写本を探してきた。その過程で民間で保存されてきた3つの写本コレクションに巡り合うことができた(写真1、4)。私は現地やインドネシアの研究者の協力を得てこれらのコレクションの調査を行い、その成果を解題付目録として順次刊行している。 ここではこれらの写本のなかのいくつかを紹介し、それを通じてマラナオ社会のイスラーム化について考えてみたい。内陸部に位置するマラナオ社会はマギンダナオやスールーと比べてイスラーム化が遅れた地域とみなされてきた。しかし、写本の内容を伝承や他の文献資料と突き合わせて検討していくと、これとは異なる様子が浮かび上がってくる。ダナオの首長の改宗とその一族との通婚関係を通じてマギンダナオにイスラームを広めた。内陸部のマラナオ社会も、この布教者の子孫とマラナオ支配層との通婚関係を通じて17世紀初めまでにイスラームを受容した。 マラナオ社会の伝統的統治システムは血筋を通じて受け継がれる社会的威信の観念に基づいている。具体的には先に述べたイスラーム布教者の血を引く4兄弟を始祖とする4つの系譜集団―「4王国」とも呼ぶ―で構成され、それぞれの「王国」は血筋によってさらに枝分かれする(図1参照)。最小単位は村、最大単位は「王国」で、それを超えて全体を統括する中枢の権威は存在しない。「王国」や村どうしの関係や、住民相互の関係は、「取り決めと合意」と呼ばれる一種の慣習法によって定められていた。 「取り決めと合意」の内容は基本的に口承で伝承されるといわれているが、「4王国」の1つ、「マシウ王国」の宗教指導者の家系には、イスラーム写本とともに、このような慣習法を記録した文書が受け継がれている。写真2がそれである。もとは長い巻物で、竹筒に入れて保管されているが、ボロボロになって数枚に分かれてしまった。写真の紙片には、結婚にあたって男性側から女性側に贈られる婚資の分配方法がアラビア文字表記のマラナオ語で記されている。別の断片には蔓草模様が描かれている。 「取り決めと合意」は開祖や地域社会の指導者たちの誓約により成立した神聖な決まりで、これを破ると神の怒りを招き、災厄に見舞われて破滅するとされてきた。この巻物が宗教指導者により管理されてきたことは、彼らが先祖伝来の神聖な取り決めを宗教的に是認し、その担い手となって地川島 緑 かわしま みどり / 上智大学名誉教授フィリピンのムスリムの歴史は主に欧文資料に依拠して描かれてきた。ミンダナオのムスリム自身が記した写本を探して20余年。現地で保存されてきた写本を通じてミンダナオのイスラーム化を考える。ミンダナオの写本との出会い 私は19世紀から1960年代までを中心として、南部フィリピンのムスリムの政治・宗教運動と思想を研究している。フィリピンのムスリムは南部のスールー諸島とミンダナオ島西部・中部に集中しており、マラナオ語、マギンダナオ語、タウスグ語、サマ語などを母語とするいくつものエスニック集団で構成されている。私は1990年代半ば以来、マラナオ語を話す人々が集中しているミンダナオ島中部、南ラナオ州で度々調査を行ってきた。この研究の基礎資料としては、欧文文献のほか、東南アジア海域世界のリンガ・フランカであるムラユ語、そして南部フィリピン諸語の資料が不可欠である。しかし、これまでの研究は欧先祖伝来の慣習法の書 16世紀初め、ジョホールからミンダナオにやってきたイスラーム布教者がマギンミンダナオの写本からみる イスラーム化
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