フィールドプラス no.27
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ルジョア道徳」で裁断することはできない。まずそこでは、村落共同体に色濃く残存していた一夫一婦制に拘束されない性的関係性、明治政府が西洋や儒教のモラルを総動員し、「貞節」の価値の普及を通して、なんとしてもつぶしたかった土着の性的慣習が前提としてある。一見「カジュアル」にみえる土着的な性的慣習が構成するニュアンスに富んだ世界を内側から理解することがまず必要である。 ある時代まで(いまでも)都市の「暗黒世界」は、「ヒューマニズム」を装いつつ、その実下世話な好奇心に動かされた差別的まなざしや猟奇的ジャーナリズムの■食であった。そうした「資料」ならたくさんある。それに対して、赤松啓介の記録は、民俗学そしてマルクス主義にもとづく分析の道具と、都市下層への批判的共感、かれ自身の豊富な経験が可能にする比較分析、そして独特の柔軟性によって、信じがたくえがたいものとなっている。もちろん、女性やセクシュアリティにかんする差別を、かれ自身まぬかれていないという限界はある。実際、借りの精算に使われる妻や娘自身がなにを考えていたかはかれの記述からはわからない。しかし、そんな限界を認めたうえでも、その豊かな洞察はいまだ都市研究に十分生かされているとはいえないのだ。 7論理は逆転している。貸し借りがあるとしても、現金の論理が基本で「貸し借り」の論理のほうが異例なものとして経験されている。近隣がだれか知りもしないし、ましてやなにか貸し借りしあうこともない。かつては現金払いよりも優勢だったツケ払いも、いまはほぼみられない。ローンも(ZOZOTOWNのツケ払いも)、支払いの遅れたときなどすぐに強制的に現金払いさせたりなにか代わりのもの(担保)を収用できる可能性のうえで成立している。 戦前の都市下層社会は、すでに資本主義的市場─現金取引を中心とする─に支配された世界のなかに片足をおいてはいるが、いまだ「貸し借り」の論理のなかで生きられていた。しかしそれは、もう村落のものとはちがう。たしかに、隣人たちとの関係は、日頃から物資の貸し借りや、お金の融通によってむすばれていた。ところが、いったい出身はどこか、本当の名前はなんなのか、いつまで滞在するのかすらたがいに知らない、あやふやな関係である。 赤松の観察した貸し借りの論理は、貸したら返すの一回のやりとりで負い目をその都度精算するものだった。村落であれば、一度のやりとりで精算する必要はない。ここに隣人がずっといることはわかっているし、孫子の代まで関係がつづくことも予想されているからだ。むしろ、あえて精算してしまわないところが、関係の継続への意志、信頼の表明となる(だから、たとえば現代でも相手への未練がない、あるいは意赤松啓介『非常民の民俗文化─生活民俗と差別昔話』(ちくま学芸文庫、2006年)。異端の民俗学者赤松啓介のいまだ■み尽くされていない、日本近代史を転覆する可能性を秘めた豊かなテキスト群が収められている。図して未練を断ち切るばあい、わたしたちは相手からの贈り物をすべて返すか捨てるかする)。ところが、ここは、とりわけ流動性の激しい都市である。かれらの手もとに現金はさしてない。暮らしていくには隣人同士の助け合いが必要だし、かれらが抱く社会のイメージにも貸し借りの論理がまだ強く残っていた。そのような条件のなかからあらわれたのが、先にあげたような現象なのだ。 家族の医療費のために与えられる金銭は、精算されうる借りでなければならない。貸し借りを踏み倒すことは、なによりもきらわれた。ただし、そこでの返済は、貸しに見合う価値のものによることを意味しない。もちろん、貸してもらったものとおおよそ等価のものを返済することは望ましいが、あくまで望ましいというだけのことであり、期待されてもいなかった。とにかく、なにがしかの返済の努力があったこと、それなりの努力の結果が対価として渡されたことが重視されたのである。つまり、貸し借り関係が精算されることが大事なのである。父親の激怒は、与えられることによって負い目が精算されないで残ることにあった。そこから、おのずと支配関係(上下関係)が生まれてしまう。それが忌避されていたのである。 それでは、なぜ妻であり娘であるのか。これが、ある種の家父長制、そして女性差別の表現であることはまちがいない。しかし、それをわたしたちの常識である「ブ1919年時点での「今宮スラム」附近の長屋の風景。1919(大正八)年『救済研究』第七巻第七号より。

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