フィールドプラス no.27
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再構成する可能性をもたらすのである。 以上のように、負目の証しとしての称号の性質に注目することで、「首長に負う社会」の内実により深く迫ることができた。この短い記事で見てきたように、「だれがだれにどのように負うのか」という観点から人と人の関係の紡がれ方、ひいては社会のしくみを新たに理解しなおすこと、そこに負債/負目研究のひとつの醍醐味があるだろう。 5れのリーダーが周囲の人びとと取り結ぶ関係性を見ることによって、リーダーのあり方の本質的なちがいが見えてくるのだ。 ポリネシアやミクロネシアの場合、首長のような「高貴な人物」から贈与を受けたという負目は、たとえ少量であっても、感謝してもし尽くせないほどの恩義となる。だからこそ、「御恩と奉公」の関係と同様に、島民は首長のために働いたり、食物を貢いだりする。これらの社会は「リーダーに負う社会」であり、島民が首長に負えば負うほど、首長の権力は強まる。 メラネシアの場合、ビッグ・マンは威信や名声をもつ一方、島民に貢納や労働を強いるような権力はもたない。むしろ彼がリーダーとしての栄光を長つづきさせるためには、周囲の協力者に気前よく富を分配し、影響力を保つ必要がある。あたかも地元からの支持を取りつけなければ当選できない議員のように、ビッグ・マンはみずからの威信を民衆に負う。まさしく「リーダーが負う社会」であり、首長がいる社会とは負目のベクトルが真逆になるのだ。 こうした負目の方向のちがいに注目すると、オセアニア島嶼部の諸社会は「リーダーに負う社会」と「リーダーが負う社会」に分類しなおせる。ピエール・クラストルが『政治人類学研究』(原毅彦訳、水声社、2020年)の中で述べるように、負債/負目という概念は「社会のありようを評価する際の確実な規準を提供する」(同書156頁)ツールであり、権力のありかたを見るうえで有用な切り口なのである。長を主賓とする祭宴に協力したりするといった貢献を惜しまない。その逆に、こうした貢献をおこなわず、首長に負う意識が希薄だとみなされた島民は、当の首長から称号をはく奪される場合がある。称号をもたない島民は未婚女性と子どもくらいなので、称号を失うことは成人にとって屈辱的な出来事である。このように、首長から授けられる称号は、その島民と首長のあいだに「負う−負わせる」という関係が成り立っている証しなのである。 ところで、負債/負目の証しという観点から見たとき、称号は人の名前と同じように属人的な名称であるため、首長にたいする負目を確認できる物質的な証拠がない点に特徴がある。たしかに今日の同島では称号の情報を紙媒体や電子媒体で記録する者もいるが、それはごく一部にかぎられる。返済相手や返済額が正確に「記録」された借用書などと違って、称号の場合、だれがどの首長に負っているのかという情報の管理は、島民の日常的な「記憶」にかかっている。そのため、島民が互いの称号の名称を間違えて覚えていたり、称号を授与したかどうかで首長と島民が揉めたりすることもある。ある高齢の村首長が村人たちの称号をすっかり忘れてしまったときには、みなが肝を冷やしたほどだ。このように、称号をめぐる負目の内容は、あくまでも互いの「記憶」によって把握される。だからこそ、島民たちは日常と儀礼の双方で、口頭のコミュニケーションを通じて互いの称号を逐一確認しあう。 負目の内容が「記録」されないことは、首長との関係を見なおす余地を島民にあたえている。たとえば、ある男性はヤムイモの初物献上を毎年必ずおこなうなど、最高首長に貢献する一方で、島民のことを顧みない最高首長に不満をもっていた。そんな彼は自身のもつ称号について先代の最高首長からもらった大事な称号だと述べ、いまの最高首長にはあまり尽くしたくないと強調した。首長の代替わりにあたって称号が授与されなおすことはない。いまの最高首長に負うのか、先代に負うのかは、あくまでも島民側の解釈次第である。自身の記憶と解釈に応じて「だれに負うのか」を読み替える余地があるからこそ、島民は特定の首長に負いつづけるというわけでもなく、むしろみずからが負いたくないと思う首長との関係を組み替えることもできる。「記録」ではなく「記憶」によって負目が把握されるという称号の性質は、時に誤解や行き違いを生みつつも、島民が首長との関係を会場にヤムイモが展示された「村の祭宴」の光景。村の称号を保持する住民たちが一堂に会して、村首長への感謝の気持ちを表明する機会である。(2012年10月6日)最高首長にヤムイモの初物を献上するために用意されたバスケットの写真。称号保持者はその年はじめて収穫されたヤムイモやパンノキの実の初物を首長に献上する義務を負う。(2009年8月22日)ある首長がノートに記録していた称号の情報。このような形で称号の情報を記録する者はごく一部に限られる。(2009年8月18日)記憶される称号──ポーンペイ島にみる首長と負目 わたしが調査研究をしているミクロネシア連邦のポーンペイ島は、上記の規準からすると「首長に負う社会」に分類できる。今日の同島には3万5千人ほどの住民が暮らしており、そのうちのかぎられた島民が首長の地位にある。具体的には、5人の最高首長のほか、それよりも下位の村首長が154人いる。成人男性のほとんどはそれぞれの首長から何らかの称号を授かっており、結婚した女性には夫に準じた称号が約束される。称号の位階は島民間の役割と序列を示し、それぞれに独自の名称がある。首長からの称号授与は、「ソウリック(Soulik)」や「クロウン(Kiroun)」といった第二の新たな名前を首長から授けられることでもある。 島民は称号を与えてくれた首長に恩義を感じ、その首長からの頼みに応じたり、首

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