フィールドプラス no.27
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「負債/負目」研究の最前線本特集は、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同利用・共同研究課題「負債の動態に関する比較民族誌的研究」(2019-21年度、代表:佐久間寛)、およびJSPS科研費JP19H01388の成果の一部である。3責任編集 佐久間 寛 英語の「デットdebt」には二重の意味がある。ひとつは「負債」や「借金」の意味である。個人が利用するローン、企業の借入金、政府発行の国債など、この意味のデットは私たちの周囲にあふれている。もうひとつは、「負おい目め」や「恩義」の意味である。人は誰かに何かをもらう(してもらう)と、自分もお返ししたい(すべき)と感じる。一方的にされっぱなしだと、ばつが悪い。その感覚が負目としてのデットである。 経済的な負デット債と倫理的な負デット目は意味が異なるばかりか、ある種の緊張関係にある。たとえば贈り物をくれた人への負目を、負債のように現金で解消しようとすれば、ふつうは失礼となる。それでいて負債と負目は、「負った以上は返さねばならない」という共通点をもつ。こうした負債と負目のもつれあいは、世界各地に見られる。人類学者D・グレーバーが証したように、デットは人間存在の根幹とかかわる現象なのだ(『負債論─貨幣と暴力の5000年』酒井隆史監訳、以文社、2016年)。 本特集に登場するデットは、私たちがよく知る貸借と返済の機械的サイクルではない。むしろ気後れせずに他人の料理を頂戴するアフリカの女性や、なかなか借金を回収できない東南アジアの仲買人など、一見不可解な人々の姿である。だが、そこにもやはり負ったら返すというデットの論理が作動している。アフリカの女性は、料理をたえず分かち合うことで負目を相殺し、特定の誰かに過度の負目が累積しないよう工夫する。東南アジアの仲買人は、返済が困難な村人からは借デット金を回収しないことで、裕福な自身が貧しい村人に負う倫理的な負デット目を返済する。同様の構図は、首長が島民に与える称号が負目の証しとなるオセアニアの事例や、貸し借りの踏み倒しを忌避するあまり家族を「売ろう」とする極東の事例にも見られる。 かつて経済学は、市場経済の行為者に注目して自己の利益の最大化を追求する「経済人homo economicus」という人間像を作りだした。これにたいして世界のデットから照らし出されてくるのは、自己の利益を損ねてでも他者への負債や負目を返さずにはいられない「返済人homo solutius」としての人間存在なのである。巻頭特集デット

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