(2010〜13年)、近藤洋平(2015〜18年)、篠田知暁(2019年〜現在)の各氏が活躍してきた(篠田氏はCOVID-19下の空港閉鎖等により、1年余り国内待機したが2021年9月に復帰)。 アジア・アフリカをつなぐ場所に位置し、自国を上回る在外移民人口(子孫を含む)をもち、世界全体とつながるとともに国際問題の集中するレバノン。そこに拠点を置いて活動を続けることで、地球社会の変動をつぶさに感じ取り、その意味を発信する研究力が養われる。これから「大人」となるJaCMESが果たすべき役割は増すばかりである。 *肩書きはすべて当時のもの。 272008年10月、キプロスの研究者を招いての講演会。期切れに際しては後任が決まらず、以後半年間は空位。2008年5月のヒズブッラーとスンニー派民兵の間の市街戦を経て、ようやく後任が決まった。 2011年、隣国シリアで内戦が始まると、レバノンは体制派・反体制派双方の窓口となる一方、100万の難民が流れ込んで人口が2割も増加した。国軍兵士がシリアから侵入したジハード主義民兵に人質を取られるなどしたが、ヒズブッラーが国境の安全を確保した。ただこの間、ベイルート市内は概ね平穏であった。 しかし政府の機能不全とレバノン国民間の格差拡大は極限に達していた。2019年10月、メッセージアプリWhatsApp使用への課税発表を発火点とする大規模デモが始まり、JaCMESの目の前の通りも殉教者広場と一体化して人々で埋め尽くされた。レバノンの政治システムを支える宗派体制の根本的変革を主張する人々は「革命」(サウラ)を叫び、治安部隊と衝突した。またアメリカの対イラン締め付けの一環でレバノンのシーア派系銀行の一つが潰れた頃からドル資金の一斉逃避が始まり、レバノンポンドの対ドル固定相場は崩壊、10分の1以下に暴落した。預金引き出しも制限され、人々は塗炭の苦しみを味わう。そこに追い打ちをかけたのがCOVID-19であり、2020年8月の港湾大爆発であった。JaCMESも大きな被害を受けたが、すぐに復旧した。2018年12月、若手研究者報告会の後、バイトエッディーン宮殿の史跡見学。報告者、トルコから招聘のコメンテータ、スタッフ。2008年2月、講演会「日本のイスラーム」開催時のグランド・ムフティー訪問。左から桜井啓子氏、臼杵陽氏、グランド・ムフティーのカッバーニー師、筆者。2019年11月、「革命」運動の中の殉教者広場での1シーン。中央奥がJaCMESの入居するアザリーエ・ビル。2020年8月、大爆発翌日のJaCMES。窓ガラスはすべて吹き飛んだ。現在は機材も一新し、完全復旧している。◆さらなる活動へ これまでにJaCMESでは国際共同研究プロジェクト4件が実施された。13回に及ぶ若手研究者報告会には日本の若手のべ68名を派遣し、レバノンのほかトルコ、UAE、ドイツ、イギリス等から同数のコメンテータを招聘し、貴重な討論の機会を提供してきた。研修会議、講演会、ラウンドテーブル、映画上映・講演会等を開催し、日本におけるイスラームや原発問題、パレスチナ問題、シリア内戦などについてレバノンの人々と共に議論してきた。 またJaCMES特任研究員として、小副川琢
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