写真3 『支那文化史蹟』所掲の嵩山の大唐嵩陽観紀聖徳感応頌碑。写真1 『支那文化史蹟』所掲の普陀山の太子塔。左は明治40(1907)年3月、右は大正11(1922)年10月の撮影。すことができた。学術資源の保全という趣旨に賛同して、この作業に労力を費やしていただいた村林眞■夫、村林孝夫の両氏には、この場を借りて改めて御礼申し上げたい。現在、ガラス乾板になにが写っているかの同定作業を進めている。写真4 2014年8月に筆者が撮影した大唐嵩陽観紀聖徳感応頌碑。写真2 2010年12月に筆者が撮影した太子塔。の伝記的研究を進めつつある。 なかでも写真に関心を持って以来、中国でフィールドワークを行うにあたっては、常盤の調査記録を読み込み、可能な限りにおいて、常盤が訪問した場所を訪れるように心がけている。24常盤大定を追いかけて 以上のような経緯を踏まえ、私は既存文献、当時の新聞記事や外務省に保管されている公文書等を用い、さらには常盤の妻の実家のあった山形県での現地調査も行い、常盤の調査の全体像の把握、ひいては常盤
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